質的研究のアプローチ(流派)Approaches to Qualitative Research
経営学の質的研究には、Eisenhardt 法、Gioia 法、グラウンデッド・セオリー、エスノグラフィー、プロセス研究などの流派がある。めざす理論、現実と知識の前提、データと分析の仕方で見分けられるが、境界は論者によって違う。
質的研究は何をしているのか
Pratt (2009, p. 856) によれば、質的研究の結果には量的研究のような合意された「有意水準」がなく、行うべきインタビューや観察の「魔法の数」もない。質的研究の方法の書き方や質の判断には、量的研究のような決まった定型がないのである(同 p. 856。原語は boilerplate)。Pratt はその理由として、方法が多様であり、その背後にある認識論や存在論の前提もさまざまであることを挙げ、単一の定型をつくることは質的研究者のめざすところではないと書く(同 pp. 856–857)。この項目は、その多様さの見取り図であり、各流派の項目への入り口である。
ここで扱うアプローチは、いずれも理論を検証するより、データから理論をつくる側に立つ。Pratt et al. (2020, p. 2) は、論じる対象の質的研究を「理論を検証しない、帰納的またはアブダクティブ(abductive)な研究」と定義し、演繹的な質的研究もありうるが経営学の学術誌ではまれだと注記している。Eisenhardt は自分の方法の目標を「理論、それだけ」と言い、とくに「どのように(how)」の問いに答えるのに役立つとする(Gehman et al., 2018, p. 287)。Gioia (2021, p. 28) は、こうした研究が生むのは仮説の検証から生じる「結果(results)」ではなく「発見(findings)」であり、理論の検証ではなく理論の発見の仕事だと強調する。
量的研究との違いを別の角度から示すのが、Langley et al. (2013) の整理である。彼らによれば、プロセス研究は物事が時間とともにどのように、なぜ生まれ、発展し、成長し、終わるのかを問う研究であり、従属変数と独立変数の共変関係を扱う分散(variance)の問いとは区別される(p. 1)。Langley らは、分散による理論化が「そうであると知る(know-that)」型の知識を生むのに対し、プロセスによる理論化は「どうやるかが分かる」型の知識(know-how)を生むと対比する(同 p. 4)。たとえば、大企業ほど規模の経済と市場支配力のおかげで利益率が高い傾向があると分かっていても、合併のあとに規模の利益を得るための手順を考えている経営者には、その知識はほとんど役に立たない(同 p. 4)。ただし、「質的研究=プロセス、量的研究=変数」と単純に重ねることはできず、Langley et al. (2013, p. 6) が編んだ特集号には量的な分析を使う論文も質的な分析を使う論文もあって、共通していたのは縦断的なデータを使うことだった。
流派を見分ける三つの軸
流派の違いは、少なくとも三つの軸で見分けられる。第一の軸は、どんな理論をめざし、どんな問いに答えるのかである。Gehman et al. (2018, p. 284) は、Eisenhardt、Gioia、Langley らが2016年の Academy of Management 年次大会のシンポジウムで質的研究による理論構築の異なるアプローチを語り合った記録をまとめたもので、結論で理論と方法の適合(theory–method fit)を求める(p. 298)。それは研究の方法が内部で一貫していることにとどまらず、方法と、問いと、めざす理論的貢献との関係までを含む(同 p. 298)。著者らのまとめによれば、演繹的に検証できる理論をつくりたいなら Eisenhardt の方法、インフォーマント(調査で話を聞く相手)の生きられた経験を理解したいなら Gioia の方法、組織生活の時間や実践の動態を理解したいなら Langley のアプローチが出発点になりうる(同 p. 297)。
第二の軸は、現実と知識についての前提である。Cunliffe (2011, pp. 647, 649) は、Morgan & Smircich (1980) が示した主観主義と客観主義の連続体を、客観主義・主観主義・間主観主義という三つの「知の問題圏(knowledge problematics)」に置き換えた。同じインタビューでも、客観主義と実証主義の認識論のもとでは構造化インタビューで「事実」を発見するために使い、主観主義と解釈主義の認識論のもとでは半構造化・非構造化のインタビューで異なる意味を探るために使い、間主観主義のもとでは参加者がともに問題を振り返る会話になる(同 p. 659)。
この軸の上での位置は、同じ方法でも時期によって言い直されることがある。Eisenhardt (1989, p. 546) は、Strauss や Van Maanen と比べて自分の手順は実証主義(positivist)の見方をとり、検証可能な仮説と、状況を越えて一般化できる理論をめざすと明言した。ところが Eisenhardt (2021, p. 155) は、1980年代末には演繹的研究の大きな共同体とつながりたくて実証主義という語を使ったが、振り返ればこの語が科学哲学の「地雷原」を刺激することを予想していなかったと書き、今なら方法を存在論的にも認識論的にも「柔軟」だと書くとする。
第三の軸は、データの集め方と分析の仕方である。Eisenhardt の方法の中心は、各事例を平均値のような要約統計にまとめず一つずつ分析する反復の論理(replication logic)である(Gehman et al., 2018, p. 287)。グラウンデッド・セオリーは、データの収集と分析を同時に行う「継続的比較(constant comparison)」と、次に集めるデータを構築中の理論が決める「理論的サンプリング(theoretical sampling)」を核とする(Suddaby, 2006, p. 634)。エスノグラフィーでは、没入型のフィールドワークがこの仕事の定義そのものとされる(Van Maanen, 2011, p. 219)。
代表的な流派
以下では、経営学でよく使われる五つのアプローチを、違いが分かる程度に概観する(詳しくは各項目を参照)。Eisenhardt 法(事例研究からの理論構築)は、Eisenhardt (1989, p. 533) が研究の開始から終結までを8段階のロードマップにまとめた方法である。事例は統計的な理由ではなく理論的な理由で選び(p. 537)、事例数に理想はないとしつつ、4〜10件がふつうはうまくいくという目安を示した(p. 545)。Eisenhardt (2021, p. 148) は、この方法の独自の貢献は複数事例からの理論構築、とくに理論的な論証にあるとまとめている。
Gioia 法は、組織の中の人々は自分が何をしようとしているかを知っていて、考えや意図や行動を説明できる「知識をもつ行為者(knowledgeable agents)」だという前提に立つ(Gioia et al., 2013, p. 17)。1次の用語、2次のテーマ、さらに集約次元(aggregate dimensions)がそろうと、それを図にしたデータ構造(data structure)をつくり、著者らはこれを研究全体でおそらく最も要となる段階と呼ぶ(同 p. 20)。
グラウンデッド・セオリーは、Suddaby (2006, p. 633) によれば、Glaser & Strauss (1967) が極端な実証主義への反発として開発した方法論である。核は継続的比較と理論的サンプリングで(p. 634)、「カテゴリーの飽和」がこの方法の主な検証手段の一つとされる(p. 636)。Suddaby は、グラウンデッド・セオリーの目的は現実について真理を述べることではなく、行為者が現実をどう解釈しているかを述べることだとする(p. 636)。
組織エスノグラフィーについて Van Maanen (2011, p. 221) は、組織エスノグラファーは組織を研究するのではなく、組織の中で研究するのであり、書かれるまではエスノグラフィーというものは存在しないとして、書くことの比重も強調する(同 p. 224)。
プロセス研究は、手順の決まった一つの方法というより、時間の中での展開を見る立場である(Gehman et al., 2018, p. 289)。質的なプロセス研究者は、縦断データの流れを時期で区切る時間的括り出し(temporal bracketing)などによって、比較の単位をつくることが多い(Langley et al., 2013, p. 7)。
流派の境界は論者によって違う
五つを並べたが、流派の境界線そのものが論者によって違うことに注意が要る。Pratt (2009, p. 856) は、事例や民族誌の方法で集めたデータの分析にグラウンデッド・セオリーを用いることもできるとし、その例に Eisenhardt (1989) を挙げている。一方で Eisenhardt & Graebner (2007, p. 30) は、「グラウンデッド・セオリーによる理論構築」という語には複数の意味があるので、Glaser & Strauss (1967) のアプローチを実際に使うのでないかぎり、この語を避けるのがよいと勧めている。ところが Eisenhardt (1989, pp. 545–546) 自身、理論的サンプリング、理論的飽和、コーディングとデータ収集と分析の重なりという考えを Glaser & Strauss (1967) から借りたと書いていた。2021年には、グラウンデッドな理論化を行うほかの研究者は、Gioia らのように1次・2次のテーマという語を使ったり、グラウンデッド・セオリーの元の言い回しに近い語を使ったりするとしたうえで、生データを反復的にまとめてグループ化するという考えは共通だと書いている(Eisenhardt, 2021, p. 151)。
Gioia 法もグラウンデッド・セオリーの語彙を借りている。Gioia et al. (2013, p. 20) は、1次の分析を Strauss & Corbin (1998) のオープン・コーディングに近いもの、2次の分析を軸足コーディングに似たものと説明し、理論的サンプリングや理論的飽和といった Glaser & Strauss (1967) の語を使う。
グラウンデッド・セオリーの側からは、そう名乗る研究の多くが本来のものではないという指摘が出ている。Suddaby (2006, p. 640) は、投稿論文を検討すると「グラウンデッド・セオリー」という語が「何でもあり」の意味に解釈されていたことが分かると書く。Walsh et al. (2015, p. 586) で Holton は、この方法のいくつかの面をつまみ食いしてほかの方法や技法と組み合わせても、実証データで研究を「根拠づけ」ても、それだけではグラウンデッド・セオリーの研究にはならないと述べる。
三人の論者が互いの違いを語った Gehman et al. (2018) には、三つの争点が見える。第一はデータ構造の要否で、Gioia が「データ構造なしではやっていけない」と言うのに対し、Eisenhardt はデータ構造にはデータが入っておらず、ただでさえ限られた誌面をとるだけだと返す(p. 292)。第二は再現で、Corley が、同じ現場で同じ問いを立てた別の研究者が自分と同じモデルにたどり着くとは期待しないと言うのに対し、Eisenhardt は、自分の問いを自分の事例で問えばほぼ同じ答えが得られるはずだと異を唱える(p. 296)。第三は帰納かどうかで、Langley は、自分たちは完全に理論から自由だという帰納の考えを強調しすぎており、実際に行っているのは帰納ではなくアブダクションだと考えると述べる(p. 297)。
Langley & Abdallah (2011) は、書き方と手順がある程度標準化・制度化した Eisenhardt 法と Gioia 法を二つの「テンプレート」とし(p. 107)、より広く体系化の進んでいない二つの「転回(turns)」と対比する(p. 122)。第一の実践の転回(strategy as practice)は、戦略の担い手の活動と、そこから生まれ、またその下にある規則性という、戦略を「すること」に焦点を当てる(Table 2, p. 123)。土台は実践が社会的世界を構成するという見方で、理論的な根は多様だが、知識が実践に埋め込まれていること、実践の社会物質的(socio-material)な性質、実践の再帰性を共通の要素とする(同 p. 123)。方法と書き方としては、暗黙の知識や社会物質性をとらえるエスノグラフィーの観察、再帰性をとらえる長期の縦断研究、詳しいヴィネット(短い場面描写)を軸にした記述、時間的括り出しによる分析が挙げられている(同 p. 123)。著者らが挙げる弱みは、批判者も言うとおり、まだ認識論的な意味での「転回」とは言いきれず、実践にかかわる緩やかな理論的レンズを束ねる「傘」の概念に近いことである(p. 128)。
第二の言説の転回(strategy as discourse)は、言説がどう形づくられ、また戦略や組織の方向についての理解をどう形づくるのかを問う(Table 2, p. 123)。社会的世界は言説でつくられ維持されるという立場から、意味(解釈学的な関心)、政治と権力(批判的な関心)、複数の水準の言説どうしの相互作用(言説間的な関心、interdiscursive)に注目する(同 p. 123)。方法としては、テキストの中身の詳しい分析に加え、テキストを取り巻く文脈(書き手、読み手、意図など)についてのエスノグラフィーやプロセスのデータと縦断データが要る(同 p. 123)。著者らはこの言説分析の節の中で、いわば脇道として、インタビューや文書などのテキストのデータの扱い方を前半の二つのテンプレートと比べ、Eisenhardt 法はデータを事実を確かめるために分析し、Gioia 法は同じデータを解釈として扱うのに対し、言説のアプローチはテキストを、何を言っているかだけでなく何をしているかについて分析すると述べている(p. 132)。弱みとして著者らは、初期の研究の分析のやや不透明なこと(p. 133)と、独自の方法論の言葉に拠るがゆえに自己言及的になりすぎる危険(p. 134)を挙げる。
懐疑的な読者へ(1):少数の事例で、研究者の解釈で、何が言えるのか
「事例が少なすぎる」という疑問には、流派ごとに違う答え方がある。Eisenhardt & Graebner (2007, p. 27) は、事例が何らかの母集団を代表しているべきだと考えるのは誤った前提であり、研究の目的は理論の検証ではなく発展なので、無作為抽出や層化抽出ではなく理論的サンプリングが適切だと答える。たとえば Harris & Sutton (1986) は、「死にゆく組織」の研究で、民間か公的か、独立か従属かを組み合わせた四つの区分をそれぞれ埋めるように8組織を選んだ(Eisenhardt, 1989, p. 537)。複数の事例を比べると、ある発見が一つの事例に固有のものか、いくつもの事例で一貫して繰り返されるものかを見分けられる(Eisenhardt & Graebner, 2007, p. 27)。
Gioia の答えは、一般化可能性(generalizability)ではなく移転可能性(transferability)を問え、というものである。一般化可能性は観察した現象が広く当てはまるだけの十分に幅広い証拠を集めたことを意味するのに対し、移転可能性はたった一つの観察でも多くの異なる文脈に当てはまる原理を表しうることを意味し、Gioia はそれを「持ち運べる原理(portable principles)」と呼ぶ(Gioia, 2021, p. 21)。Pratt et al. (2020, p. 10) が表にまとめた Lincoln & Guba (1985) の基準では、ほかの文脈と比べる立証責任は、元の研究者よりも、比べたい側にあるとされる。Langley et al. (2013, p. 7) は、縦断的な事例研究を「サンプル1」とみなすのはよくある誤解であり、プロセス研究のサンプルの大きさは事例の数ではなく時間的な観察の数だと指摘する。Van Maanen (1979, p. 545) は、無作為であること自体はデータの信頼性を判断するうえでほとんど価値がなく、研究者の記述はその場を最もよく知る(そして率直な)成員の情報にもとづいて組み立てるべきだというのがフィールドワークの基本原則だと述べる。一つの事例から何が言えるのかというありふれた問いに、Van Maanen (2011, p. 227) は「言えるだけのすべて」と答え、普遍は特殊の中に見いだせるようだと書く。
「研究者の主観ではないか」という疑問からは、Gioia 法そのものが生まれた。Gioia らは査読者から「すばらしい話だ、だが、あなたが面白い解釈をでっち上げただけでないと、どうして分かるのか」と問われ、その応酬の解決として、1次の分析と2次の分析をともに体系的に示すやり方を考え出した(Gioia et al., 2013, p. 18)。分析を評価する鍵の基準は、「データ構造がなければ、何も分からない(No data structure; know nothing)」という合言葉である(同 p. 21)。独立したコーダーによる一致率を計算したこともあるが、データ構造をつくる手続きそのものが必要な厳密さを与えるので、その手順は必須とは考えないという(同 pp. 21–22)。エスノグラフィーでは、Van Maanen (1979, pp. 540, 542) が、フィールドで見聞きした自然な会話や活動の流れを記録した運用データ(operational data)と、インフォーマントが他人の目に保とうとする体裁にかかわる呈示データ(presentational data)を区別し、両者を見分けることをエスノグラファーの中心的な分析課題とした。エスノグラフィーの方法の中心的な公準は、人は自分にとって最も重要なことについて嘘をつくということだ、とまで書いている(同 p. 544)。警官たちの語る「路上の裁き(street justice)」を見分けるために、Van Maanen は話をほかの話と照らし合わせるだけでなく、実際に自分の目で見て、他人の説明と比べなければならなかった(同 p. 543)。ただし1年半のフィールドワークで、その場面を目にしたのは4、5回にすぎなかったとも認めている(同 p. 543)。
研究者の影響をなくすのではなく、影響を自覚して書くという答え方もある。Pratt (2009, pp. 858–859) は、方法の節に書くべき基本に加えて、見落とされがちな点として、研究者と研究される側の関係、つまり「フィールドにおける研究者の位置(position in the field)」を挙げる。Van Maanen (2011, p. 233) は、解釈主義の陣営は自分の実証・分析・語りの志向が自分の社会的な位置、アイデンティティ、政治的な好み、訓練などに影響されていることを認めるが、実証主義の陣営は認めない、と注に書く。Gioia (2021, p. 25) は、自分は白紙(tabula rasa)かと自問して「いいえ」と答え、経験から自分なりのスキーマや暗黙のバイアスをもつが、洞察に富んだ見方をすることはできると書く。
ただし、方法の側もこれらの点の限界を認めている。Eisenhardt (1989, p. 547) は、事例から理論をつくると狭く特異な理論になりうると述べ、資源依存や個体群生態学、取引費用のような理論の広がりはなく、本質的には特定の現象についての理論だと認める。Gioia (2021, p. 27) も、薄い証拠にもとづいて大げさな主張をするという過ちを、質的研究者はいまだに犯すことがあると認めている。Eisenhardt (2021, p. 151) は、構成概念を定義し根拠づけるカテゴリー化と抽象化には、隠れていて創造的で記述しにくい「技(art)」の部分があると書く。Van Maanen (2011, p. 232) は、理論とデータの「適合」をどう示し正当化するかは、開かれた、やや循環的な、最終的にはまったくレトリックの問題だと注で認める。
方法の外からの批判もある。Mees-Buss et al. (2022, p. 413) は、Gioia 法が、研究者は白紙の状態で現場に入るという非現実的な前提を置いていると批判する(詳しくは Gioia 法の項目を参照)。
懐疑的な読者へ(2):再現できるのか、何で良し悪しを決めるのか
Pratt et al. (2020, p. 1) によれば、実験社会心理学の「再現性の危機」を受けて経営学の学術誌は透明性の新しい基準を設けつつあり、その動きは質的研究に、役に立たないどころか危険でさえある形で波及している。著者らは、透明性を再現と固く結びつけることは質的研究にとって深刻な問題であり、質的研究では再現はその研究がめざすものの要点を外しているとする(同 p. 1)。質的研究の方法の多くは存在論的な理由から再現や再生産の必要を退けるだろうとし(同 p. 4)、実在論の立場からも再現はむなしい企てだと論じる(同 p. 5)。ただし、データを示さなくてよいと言っているのではなく、編集者として著者に、論点を「語る」のではなく「見せる」よう促していると書いている(同 p. 8)。
「再現(replication)」という語は、流派によって意味がずれる。Pratt et al. (2020, p. 9) は、Yin (2003) や Lincoln & Guba (1985) も replication という語を使うが、それは研究者をまたいだ再現可能性や、結果が客観的に正しいことを保証する手段を意味しないと注記している。Eisenhardt 法の描き方をめぐっては応酬もあり、Pratt et al. (2020, p. 13) は Langley & Abdallah (2011) を引いてこの方法がテンプレートの地位を得ていると述べ、研究者は関心のある説明変数に沿って違いのある事例を「ふつう8件ほど」選び、その違いが組織の成果の違いと結びつくことを事例間の比較で示す、と要約した。ただし、引かれた Langley & Abdallah (2011) の原典には「8件」という数は出てこない。事例数は Eisenhardt (1989) の目安どおり4〜10件と書かれており(Table 1, p. 109; p. 111)、「ふつう8件ほど」は Pratt et al. (2020) 自身の要約である。これに対し Eisenhardt (2021) は、Pratt et al.(Eisenhardt の文献表では2019年と表記)を名指しして、特定の事例数は方法に本来備わったものではなく「ふつう8件ほど」という記述は誤りであり(p. 153)、垂直的か水平的かという知識の区別も方法の一部ではない(p. 154)と反論した。さらに、異なる独立変数をもつ事例を選んで異なる結果を説明する設計は演繹的研究の典型であり、複数事例からの理論構築研究ではほとんど見られないとして、Pratt et al. の記述を誤りだとしている(Eisenhardt, 2021, p. 157)。
では、何を基準に良し悪しを判断するのか。Eisenhardt (1989, p. 548) は、Pfeffer (1982) にならって、よい理論とは簡潔で、検証可能で、論理的に一貫したものだとし、そうした理論が研究の始めではなく終わりに現れることを求めた。加えて、注意深い分析手順に従ったか、証拠が理論を支えているか、対立する説明を退けたかを問い、読者が理論との適合を自分で判断できるだけの証拠を構成概念ごとに示すべきだとした(同 p. 548)。Suddaby (2006, p. 640) は査読者として、理論的サンプリングと継続的比較という中核の原則に従ったと分かる程度に方法が透明に書かれているかを確かめ、データの新しい解釈への開かれといった理論的感受性(theoretical sensitivity)の兆しを見るという。
Pratt et al. (2020, pp. 10–11) は、信頼性(trustworthiness)の示し方を、自然主義的探究(Lincoln & Guba, 1985)、事例研究(Yin, 2003)、エスノグラフィー、プロセス研究という四つの立場に分けて表にした。たとえば Lincoln & Guba の立場では長期の関与、持続的な観察、否定的事例の分析、メンバー・チェックなど、Yin の立場では複数の証拠源、証拠の連鎖、主要な情報提供者による草稿の確認などが挙げられている(同 p. 10)。これらはすべての質的研究に当てはめる固定のチェックリストではなく、研究者が立てたい主張と依拠する存在論に応じて選ぶ選択肢だとされる(同 p. 9)。Pratt et al. (2022, p. 219) は、組織における信頼の研究(Mayer, Schoorman, & Davis, 1995)を借りて、有能さ・誠実さ・善意を示す研究を信頼できるものとした。ただし、Pratt et al. (2020, p. 11) は、エスノグラフィーの基準を挙げた論者が論じたのはエスノグラフィーがなぜ説得力をもつかであって、なぜ信頼できるかではないと注記しており、Pratt et al. (2022, p. 233) は、自分たちの考え方が査読者と編集者にいっそうの方法論的な熟練を求めることを認めている。
テンプレート化という問題
流派が名前で呼ばれるようになると、それがテンプレートとして使われるという問題が出てくる。Langley & Abdallah (2011, p. 107) は、北米の経営学の学術誌にある程度浸透し、ほかの研究者の物差しとして使われることもある二つのテンプレートを、生みの親にちなんで Eisenhardt 法と Gioia 法と名づけた。Pratt et al. (2022, p. 212) によれば、なかでも Gioia 法は組織研究の質的論文を支配するようになり、査読者や編集者がこの技法を求めることも多い。Mees-Buss et al. (2022, p. 424, Table A1a) が2014〜2018年に経営学の7誌を調べた結果では、Academy of Management Journal の質的論文74本のうち46本(62.2%)が Gioia 法を使っており、Administrative Science Quarterly、Journal of Management Studies、Organization Studies でも15.9〜29.6%だった。使い方の内訳は、忠実な踏襲が39%、部分的な採用が12%、引用のみが15%、直接引用せずに1次・2次のコード構造を使う「サイレント・フォロワー」が34%だった(同 pp. 425–426, Table A2)。
Langley & Abdallah (2011, p. 122) は、二つのテンプレートを、強力で役に立ち、この分野の質的研究を支える最も一般的な認識論の前提、方法の道具立て、修辞の枠組みを代表するものとして取り上げた。他方で、1990年代末に第一著者が受けた査読では、査読者が Eisenhardt (1989) の8段階を枠組みにして投稿論文を一段ずつ照らし合わせており、「良くも悪くも」この方法はすでにテンプレートの性格を帯びていたと振り返る(p. 110)。結論では、読者が模範例を自分で調べ、ほかのアプローチを見つけ、発明することを期待している(pp. 134–135)。
テンプレート化には、方法の生みの親たち自身が懸念を示している。Gioia et al. (2013, pp. 25–26) は、組織研究者がこの方法論をテンプレートとして、あるいは「公式」として扱い、最近の論文のデータ構造の形式をそのまま再現していることを懸念し、これは「方法(method)」ではなく、革新に開かれた柔軟な「方法論(methodology)」であって「料理本」ではないと書く。Gioia は、自分の体系的なアプローチが質的研究のテンプレートになることは望まないと述べ、最近の査読者から Gioia 法はありふれすぎているので別のアプローチを考えてほしいと言われたという逸話も紹介している(Gehman et al., 2018, p. 293)。Eisenhardt も、データ構造のような特定の形式を要求することを「死後硬直(rigor mortis)」と呼んでいる(Gehman et al., 2018, p. 293)。
Pratt et al. (2022) は、テンプレートの問題を三つにまとめている。第一に、テンプレートは使いやすいがゆえに、研究者が自分が何をなぜしているのかを十分に理解しないままになりうる(p. 213)。どのテンプレートも研究に必要な方法上の手順をすべて記述することはできず、テンプレートはせいぜい地図であって、研究という地形は地図よりはるかに複雑だからである(同 p. 213)。第二に、テンプレートが最も適する条件は限られているので、方法の選択肢を狭め、ひいては実証研究から生まれる理論的な仕事を狭める(同 pp. 214–215)。第三に、研究に役立ったがテンプレートに合わないために論文に書かれなかった手が「選び落とされる」おそれがある(同 p. 215)。Mees-Buss et al. (2022) の批判はさらに根本的で、Gioia 法が示す帰納による理論への道は解釈の課題に応えていないとし(p. 405)、テンプレートの代わりに、「自分はどう間違っているかもしれないか」などの問いを研究の過程で問い続けるヒューリスティクスを提案する(pp. 419, 421)。
一方で、テンプレートの価値を認める記述も併記しておく。Pratt et al. (2022, p. 235) は、正式な訓練を受けていない研究者にも質的研究を使いやすくした点でテンプレートを評価し、テンプレートと、手持ちの分析上の手を組み合わせて自分の研究の問題を解く方法論的なブリコラージュとは、互いに排他的ではないとする(pp. 219, 234)。このブリコラージュという考えは、起業研究の Baker & Nelson (2005) から借りたものである(同 p. 217)。Gehman et al. (2018, p. 297) の結論は、どの理論と方法の組み合わせもある程度のテンプレートや模範を与えうるが、個々の研究の文脈に合わせて調整する必要がある、というものである。
論文を読むときの手がかり
最後に、質的研究の論文を読むときに確かめるとよい点を、ここまでの文献からまとめる。第一に、問いと方法が合っているかである。Pratt (2009, pp. 858–859) が方法の節の基本として挙げるのは、なぜこの研究が必要か、新しい理論をつくるのか既存の理論を精緻にするのか、なぜこの文脈とこの分析単位を選んだのか、データからどうやって発見にたどり着いたのか、である。グラウンデッド・セオリーを名乗る論文なら、Suddaby (2006, p. 640) が査読で確かめるように、理論的サンプリングと継続的比較に従ったことが分かる程度に方法が書かれているかを見るとよい。
第二に、データが見せられているかである。Pratt (2009, p. 857) は、生データを示さずに著者の解釈だけを示す「見せずに語る」失敗が、複数事例研究で最もよく見られると書く。本文には論点を最もよく示す「パワー・クオート(power quotes)」を置き、それ以外の裏付けのデータは表にも載せるべきだとする(同 p. 860)。Eisenhardt & Graebner (2007, p. 29) は、構成概念ごとに事例の証拠をまとめた「構成概念表(construct tables)」を勧め、Gioia 法の論文ではデータ構造の図が示される(Gioia et al., 2013, p. 20)。
第三に、質的研究を量的研究に見せかけていないかである。Pratt (2009, pp. 857–858) は、質的研究でない査読者に受け入れられやすくするために、質的研究を量的に見せる修辞を使うことを戒め、最大変動サンプリングを「交絡の可能性を除くために他の分散を統制したかった」と書いてしまった例を挙げる(p. 858)。
第四に、記述を超えて理論化されているか、そして主張の射程が方法に見合っているかである。Langley は、うまくいかない質的研究の型として、理論化のないただの語り、反理論化、例示的な理論化、規則性を見つけても説明しない「パターンの理論化」を挙げる(Gehman et al., 2018, p. 294)。Eisenhardt (1989, p. 548) によれば、事例研究からの理論構築が最も適するのは、ある話題の研究の初期段階か、すでに研究された話題に新鮮な視点を与える場合である。
主な文献
- Eisenhardt, K. M. (1989). Building theories from case study research. Academy of Management Review. DOI ↗事例研究から理論をつくる8段階のロードマップ。理論的サンプリング、4〜10件の目安、評価基準を示し、立場を実証主義と明言した。
- Eisenhardt, K. M., & Graebner, M. E. (2007). Theory building from cases: Opportunities and challenges. Academy of Management Journal. DOI ↗代表性への批判への答え、単一事例と複数事例、構成概念表。「グラウンデッド・セオリー」という語を避けるよう勧めた。
- Eisenhardt, K. M. (2021). What is the Eisenhardt Method, really?. Strategic Organization. DOI ↗方法の核を五つに絞り、よくある誤解を訂正した。「実証主義」の自称を改め、Pratt et al. の描き方を誤りとした。
- Gioia, D. A., Corley, K. G., & Hamilton, A. L. (2013). Seeking qualitative rigor in inductive research: Notes on the Gioia methodology. Organizational Research Methods. DOI ↗1次・2次の分析とデータ構造による Gioia 法の解説。テンプレート化への懸念も表明した。
- Gioia, D. (2021). A systematic methodology for doing qualitative research. Journal of Applied Behavioral Science. DOI ↗一般化可能性ではなく移転可能性(持ち運べる原理)を論じた一人称の論説。
- Mees-Buss, J., Welch, C., & Piekkari, R. (2022). From templates to heuristics: How and why to move beyond the Gioia methodology. Organizational Research Methods. DOI ↗Gioia 法の認識論的前提を批判し、ヒューリスティクスを提案。7誌での使用状況を集計した。
- Gehman, J., Glaser, V. L., Eisenhardt, K. M., Gioia, D., Langley, A., & Corley, K. G. (2018). Finding theory–method fit: A comparison of three qualitative approaches to theory building. Journal of Management Inquiry. DOI ↗Eisenhardt・Gioia・Langley が互いの方法の違いを語ったシンポジウムの記録。理論と方法の適合を求める。
- Langley, A., & Abdallah, C. (2011). Templates and turns in qualitative studies of strategy and management. Research Methodology in Strategy and Management, 6. DOI ↗Eisenhardt 法と Gioia 法を二つの「テンプレート」、実践の転回と言説の転回を二つの「転回」として、認識論・方法・書き方を比べた章。Crossref のページ表記(201–235)は誤り。刷られたページは105–140。
- Cunliffe, A. L. (2011). Crafting qualitative research: Morgan and Smircich 30 years on. Organizational Research Methods. DOI ↗客観主義・主観主義・間主観主義という三つの知の問題圏で質的研究を整理した「地図」。
- Pratt, M. G. (2009). From the editors: For the lack of a boilerplate: Tips on writing up (and reviewing) qualitative research. Academy of Management Journal. DOI ↗質的研究の書き方と査読の失敗例と助言。定型がないことの利点と困難を論じた。
- Pratt, M. G., Kaplan, S., & Whittington, R. (2020). Editorial essay: The tumult over transparency: Decoupling transparency from replication in establishing trustworthy qualitative research. Administrative Science Quarterly. DOI ↗透明性と再現を切り離すべきだと論じ、信頼性の示し方を四つの立場で整理した。
- Pratt, M. G., Sonenshein, S., & Feldman, M. S. (2022). Moving beyond templates: A bricolage approach to conducting trustworthy qualitative research. Organizational Research Methods. DOI ↗テンプレートの問題を論じ、方法論的ブリコラージュと、有能さ・誠実さ・善意という信頼の基準を提案した。
- Langley, A., Smallman, C., Tsoukas, H., & Van de Ven, A. H. (2013). Process studies of change in organization and management: Unveiling temporality, activity, and flow. Academy of Management Journal. DOI ↗プロセス研究と分散研究の違い、縦断データ、know-how 型の知識を論じた特集号の序文。
- Suddaby, R. (2006). From the editors: What grounded theory is not. Academy of Management Journal. DOI ↗グラウンデッド・セオリーについてのよくある誤解を挙げ、査読で何を確かめるかを示した。
- Walsh, I., Holton, J. A., Bailyn, L., Fernandez, W., Levina, N., & Glaser, B. (2015). What grounded theory is…a critically reflective conversation among scholars. Organizational Research Methods. DOI ↗グラウンデッド・セオリーは質的研究に限らない一般的な方法論だと論じた座談の記録。
- Van Maanen, J. (1979). The fact of fiction in organizational ethnography. Administrative Science Quarterly. DOI ↗1次・2次の概念と、運用データ・呈示データの区別。警察のエスノグラフィーを例に、事実と作り話の見分け方を論じた。
- Van Maanen, J. (2011). Ethnography as work: Some rules of engagement. Journal of Management Studies. DOI ↗フィールドワーク・ヘッドワーク・テキストワークとしてのエスノグラフィー。T. Watson の論考への応答。
批判と境界条件
この項目の整理そのものにも限界がある。第一に、流派を分ける軸として使った Cunliffe (2011, p. 648) の分類は、著者自身が、完全な類型論ではなく、議論と討論のたたき台としての最新の「分野の地図」だと位置づけている。その地図は確定的な表現でも、あるアプローチがほかより優れているという主張でもなく、異論に開かれたものだとされ(同 p. 653)、三つの問題圏は境界が流動的な雲として描かれて、説明のあいだの線もぼやけている(同 p. 653)。もとになった Morgan & Smircich (1980) の類型も、解釈主義と機能主義の二つのパラダイムしか扱っていないことを本人たちが認めていた(Cunliffe, 2011, p. 651)。
第二に、ここで扱ったのは経営学でよく使われるアプローチに限られる。Gehman et al. (2018, p. 285) は、三人のアプローチは経営学者によく使われているが、質的研究による理論構築の方法を尽くしてはいないと書き、Langley も、アプローチは三つだけではなく、まだ発明されていないものもあるだろうと述べる(同 p. 293)。Pratt (2009, p. 856) は論説の対象を帰納的な質的研究に限り、Pratt et al. (2020, p. 2) も演繹的な質的研究は経営学の学術誌ではまれなので論じないとしており、この項目も演繹的な質的研究は扱っていない。また、グラウンデッド・セオリーを質的研究の流派の一つとして並べること自体、古典的なグラウンデッド・セオリーは質的研究の方法論ではなく一般的な方法論だとする Walsh et al. (2015, pp. 585–586) の立場からは異論がありうる。
第三に、根拠にした文献の多くは実証研究ではなく、論説や対談である。Gehman et al. (2018, p. 284) と Walsh et al. (2015, p. 582) は学会シンポジウムの記録をもとにしたもので、Walsh et al. は書き起こしを絞り込み、短くし、編集したと明記している(p. 582)。Van Maanen (2011, p. 218) は Tony Watson の論考への応答として書かれたものであり、Suddaby (2006, p. 634) は、自分が挙げた誤解の分類が網羅的だとは主張せず、自分の経験を反映したものだとしている。
第四に、テンプレート批判の例示は Gioia 法に偏っている。Pratt et al. (2022, p. 212) は、論点の多くを Gioia のテンプレートで例示することにしたと明言している。Mees-Buss et al. (2022, p. 425) の集計は Reay et al. (2019) より広い基準で数えたものであり、著者らは自分たちの解釈学的な立場に対して、意味をめぐる争いは本質的に政治的・イデオロギー的だと強調する人々は異論をもちうると認めている(p. 424)。
研究上の位置づけ
出典
- Eisenhardt (1989), Academy of Management Review ↗
- Eisenhardt & Graebner (2007), Academy of Management Journal ↗
- Eisenhardt (2021), Strategic Organization ↗
- Gioia et al. (2013), Organizational Research Methods ↗
- Gioia (2021), Journal of Applied Behavioral Science ↗
- Mees-Buss et al. (2022), Organizational Research Methods ↗
- Gehman et al. (2018), Journal of Management Inquiry ↗
- Langley & Abdallah (2011), Research Methodology in Strategy and Management, 6, 105–140(Crossref のページ表記 201–235 は誤り。刷られたページは105–140) ↗
- Cunliffe (2011), Organizational Research Methods ↗
- Pratt (2009), Academy of Management Journal ↗
- Pratt et al. (2020), Administrative Science Quarterly ↗
- Pratt et al. (2022), Organizational Research Methods ↗
- Langley et al. (2013), Academy of Management Journal ↗
- Suddaby (2006), Academy of Management Journal ↗
- Walsh et al. (2015), Organizational Research Methods ↗
- Van Maanen (1979), Administrative Science Quarterly ↗
- Van Maanen (2011), Journal of Management Studies ↗
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