科学哲学の立場Philosophical Positions in Management Research
研究の手前には、対象は研究者と独立に存在するか、それをどう知りうるかという前提がある。実証主義、解釈的アプローチ、批判的実在論、構成主義の考え方を、それぞれを論じた論文にもとづいて紹介し、構成主義と批判的実在論のあいだの論争と、二つのアプローチを統合する試みを示す。
研究の前提としての科学哲学
論文の方法の節には、サンプルや尺度や分析の手順が書かれる。しかしその手前に、研究者が暗黙に置いている前提がある。調べている対象は研究者と独立に存在するのか、それをどこまで知ることができるのか、といった前提である。Miller & Tsang (2011, p. 141) は、経営学に反映されている主な科学哲学として、批判的実在論、実証主義、構成主義、解釈主義、プラグマティズムを挙げる。そして、経営学には理論が多数あるだけでなく、理論を評価する基準についても合意がない、と述べる(同 p. 141)。この項目では、このうち実証主義、解釈的アプローチ、批判的実在論、構成主義の四つを、それぞれを論じた論文にもとづいて紹介し、構成主義と批判的実在論のあいだで交わされた論争を詳しく見る。
最初に、よくある誤解を一つ解いておく。Mir & Watson (2000, p. 944) は、方法論(methodology)と方法(method)を区別する。方法とは、探究の過程で使う道具や技法のことである(p. 944)。方法論は、研究者が持ち込む前提の束の水準にある。そのため、構成主義の方法論に立つ研究者が統計分析を使うこともあり、実在論の方法論に立つ研究者が質的研究を行うこともある(p. 944)。「質的研究なら構成主義、量的研究なら実証主義」という対応は、少なくとも Mir & Watson の整理では成り立たない。ただし、Lee (1991, p. 342) は実証主義的アプローチと解釈的アプローチを手続きで定義している。同じ「実証主義」という言葉でも、論文によって前提の水準の話をしているのか、手続きの水準の話をしているのかが違うことに注意したい。
存在論と認識論
立場の違いを整理するときによく使われるのが、存在論と認識論という二つの問いである。存在論は何が存在するかについての問い、認識論はそれをどう知ることができるかについての問いである。Mir & Watson (2000, p. 946) は、車の例で二つを区別している。車が存在すること自体は社会的な構成物ではないが、車の効用は社会的に生み出される(p. 946)。彼らは Campbell (1988) の「自分は徹底した認識論的相対主義者だが、存在論的な相対性は拒否する」という言葉を引き、構成主義をこの組み合わせに位置づける(p. 946)。
Kilduff et al. (2011) は、別の二つの問いで立場を並べている。存在論の問いは「科学の理論は実在を表しているか」、認識論の問いは「科学はしだいに真理に近づいているか」である(pp. 299–300)。この二つの問いの組み合わせで四つの象限をつくり、構造的実在論、Kuhn の強いパラダイム、基礎づけ主義、道具主義を置く。批判的実在論は、構造的実在論と同じ左上の象限(どちらの問いにも「はい」と答える側)に入る(p. 307)。注意したいのは、Kilduff らが論理実証主義・論理経験主義を「基礎づけ主義」と呼び、反実在論と「科学は真理に近づく」という信念の組み合わせとして位置づけていることである(p. 304)。実証主義を実在論の一種とみる整理とは異なる。また、この図には構成主義の象限がなく、Kilduff ら自身も、四つの象限に代表を選ぶとき重要な立場をいくつか省いたと書いている(p. 307)。立場の名前と中身の対応は、論者によって揺れている。
実証主義
Lee (1991, p. 343) によれば、組織研究の実証主義的アプローチは、科学哲学の「論理実証主義」または「論理経験主義」に起源をもつ科学観を実践するものである。その主要な考えの一つが「科学の統一」のテーゼで、自然科学の方法だけが社会科学でも正当な方法だとする(p. 343)。Lee は実証主義的アプローチを、形式論理と仮説演繹の規則で理論的命題を扱い、命題に反証可能性、論理的一貫性、相対的な説明力、生き残りという四つの要件を満たさせることだと要約する(pp. 343–344)。仮説演繹の考え方の中心は、理論上の存在そのものは観察できなくても、それが引き起こす帰結は観察できる、という点にある(p. 344)。新しい状況で新しい予測をすれば反証の可能性が再び開かれるので、どんな理論も真であると決定的には検証されない(p. 345)。
Tsang & Kwan (1999, p. 761) は、実証主義の「受け入れられた見解」を、あらゆる科学の目標は「F ならばいつも G」という形の不変の法則を探すことだ、とする見方として紹介する。この見方では、因果とは事象がいつも一緒に起こることにすぎないので、F が G を引き起こすことにもなる(p. 761)。そして、追試の重要性は一般法則を検証したり反証したりすることにある(p. 761)。Tsang & Kwan は、実証主義は自然科学の説明としてもここ数十年で広く信用を失った、と評価している(p. 761)。
解釈的アプローチ
Lee (1991, p. 347) によれば、組織研究の解釈的アプローチは、自然科学の方法は社会的な現実の研究には不十分だと考える。原子や分子や電子と違って、人は自分のまわりの世界や自分の行動に、自分で意味をつくり、与えるからである(p. 347)。観察する社会科学者は、観察される人々にとってそれが何を意味するかという観点から、経験的な現実を解釈しなければならない(p. 347)。Lee は例として現象学的社会学、解釈学、エスノグラフィーを挙げ、これらは例示であって網羅ではないと断っている(p. 347)。
ここでの「主観的」は「偏った」「独断的な」「検証できない」の同義語ではなく、観察される人がもつ意味を指す(pp. 347–348)。解釈が妥当かどうかにも基準がある。エスノグラフィーでは、現地の人の行動がもはや研究者にとって奇妙にも、無意味にも、驚きにも見えなくなった程度が、解釈の妥当性を試す一つの目安になる(p. 350)。解釈学の立場の人々(Tsang & Kwan は hermeneuticists と呼ぶ)は、社会科学の観察は本来一回かぎりのものだとして、追試できることを社会科学に求めるべきではないと考え、追試の原則を、進歩を助けるどころか妨げる拘束衣とみる(Tsang & Kwan, 1999, p. 761)。
批判的実在論
Tsang & Kwan (1999, p. 761) は、実在論を、心から独立した、固有の秩序をもつ実在が存在するという哲学上のテーゼとして定義する。そのうえで Bhaskar と Harré に由来する批判的実在論を、三つの基本的な主張で説明する(p. 762)。第一に、科学の理論が指し示そうとする実在は、経験される出来事よりも、世界の構造とメカニズムである(p. 762)。第二に、その背後にある構造やメカニズムは、観察できる出来事と偶然的にしか結びついていない(p. 762)。第三に、実在、とくに社会的な実在についての科学的な知識は決して誤りえないものではないが、理論を創造的に組み立て批判的に検証することで、そうした知識を得ることはできる(p. 762)。
Bhaskar は、観察できる出来事の経験的な領域と、出来事のパターンを生み出すメカニズムがある実在の領域とを区別する(Tsang & Kwan, 1999, p. 762)。Tsang & Kwan の例では、机の上の本が床に落ちないのは重力が働いていないからではなく、机の反作用で打ち消されているからである(p. 762)。メカニズムがあっても、出来事として観察されるとは限らない。そのため批判的実在論は、出来事がいつも一緒に起こることは因果法則の十分条件でも必要条件でもない、と考える(p. 762)。社会は、人の行為が系の形を変え、人が学習し自らを変える力をもつために、閉じた系にならない(p. 763)。そのため社会科学は、予測よりも主に説明や解釈の学問になる(p. 763)。
Miller & Tsang (2011, p. 144) は、批判的実在論を、研究者の知識から独立した世界の存在を認める実在論的な存在論と、世界についての知識は社会的に生み出されるとする可謬主義的な認識論の組み合わせとして説明する。ただし、研究者が誤りうることや社会の中に置かれていることから、理論の優劣は判断できないという結論(判断の相対主義)を導くことは退ける(p. 144)。同じ批判的実在論でも、紹介のしかたには幅がある。Kilduff et al. (2011, p. 308) は、批判的実在論者は誤りを正し出だしの失敗を退けることで科学は真理に収束すると論じる、と紹介する。これに対して Miller & Tsang (2011, p. 140) は、反証は決して確実でも決定的でもなく、修正されうると強調する。
構成主義
Mir & Watson (2000, p. 941) は、構成主義を、存在論的な実在論と認識論的な相対主義の組み合わせで特徴づけられる方法論上の立場として示した。構成主義は、研究は根本的に理論に依存している、と論じる考え方である(p. 941)。構成主義は現象の存在を疑うのではなく、特定の知識の理論なしに現象を理解できるかを疑う(p. 942)。Mir & Watson は、すべての構成主義者が共有する前提として六つを挙げる(pp. 942–944)。知識は理論に導かれる、研究者(主体)と研究される現象(客体)は切り離せない、理論と実践も切り離せない、研究者は決して「客観的」でも価値中立的でもない、研究は前提を共有する研究者の「共同体」の中で「会話」として行われる、構成主義は「方法論」である、の六つである(pp. 942–944)。
二人のたとえでは、実在論者が研究を、現象という地面から天然の洞察の塊を掘り出す発掘とみるのに対し、構成主義者は研究を彫刻に近いものとみる(pp. 942–943)。構成主義者は、研究者が自分の前提とする理論的な立場を透明にしていれば研究の過程は妨げられない、と考える(p. 943)。
Mir & Watson が問題にするのは、実在論を認識論の領域にまで広げ、現象を説明する理論をそのまま実在の鏡とみなすことである(p. 946)。組織を単一の実体として扱うとき、実在論の研究は三つの大きな問題にぶつかる、と二人は言う(p. 946)。理論を著者の想像力の産物ではなく「外にある実在」の尺度として扱うこと、組織の中の一部の集団の見方が組織の「現実」として一般化されること、研究者が記述を客観的に見せるために自分の存在を研究から消し去ること、である(p. 946)。ただし二人は、これは実在論そのものへの批判と受け取られてはならない、と断っている(p. 947)。
例として挙げられるのが、事業部制(M型)組織の研究である。米国で事業部制の企業が生まれ広がったという存在論的な現実は、しだいに、文脈にかかわらず M 型企業を他の組織形態より本質的に優れているとたたえる認識論上の硬直に置き換わった、と二人は論じる(p. 948)。構成主義的な歴史分析は、米国で M 型が生まれた歴史的な状況を掘り起こすことと、他の地域で M 型でない組織が生き残り成果を上げている理由を調べることの、二通りで行える(p. 948)。そうすることで結果を「地方化」し、適用範囲を絞り、過度な一般化の危険を避けられる(p. 950)。
論文の結論は、実在論と構成主義の健全な混合が、純粋に実在論的な見方では見落とす問題に取り組む助けになる、というものである(p. 950)。ところが最後の一文では、構成主義の伝統が主流になり、歴史を考慮しない横断的な研究に取って代わるときかもしれない、とより強い主張をしている(p. 951)。
論争:構成主義は批判的実在論に含まれるか
Kwan & Tsang (2001) は、批判的実在論の立場からこの論文に反論した。要旨では、洞察はあるものの、Mir & Watson の構成主義には問題があり、実在論の理解は不正確だと述べる(p. 1163)。
第一の論点は、どの構成主義なのかがはっきりしないことである。Mir & Watson は構成主義の種類に簡単に触れるが、自分たちがどれに立つのかを明示していない(p. 1164)。Kwan & Tsang は Hess (1997) にならい、科学の理論は実在の世界の地図でありながら文化に縛られた言葉や価値も運ぶと考える穏健な構成主義と、科学者は世界を発見するのでなく世界に構造を押しつけ、ある意味で世界を「つくる」と考える急進的な構成主義を区別する(p. 1164)。前者は実在論と両立するが、後者は反実在論の一形態である(p. 1164)。また、研究の理論依存性を認めることは構成主義者の条件にならない。Boyd によれば、実在論者と構成主義者を分けるのは、研究される現象が理論や枠組みやパラダイムの採用と独立に存在し性質をもつことを、前者は認め後者は否定する点にある(p. 1164)。
第二の論点は、「研究者の哲学的立場が知見を決める」という構成主義の主張への疑問である。もしそうなら、実在は科学的な研究に何の入力も統制も与えないことになり、どの知見も中立的には評価も批判も反証もできなくなる、と Kwan & Tsang は言う(p. 1164)。二人は、Mir & Watson は断り書きにもかかわらず、ときに受け入れがたい形の反実在論や相対主義に傾いている、と評する(p. 1165)。ただし、相対主義がなぜ受け入れられないかは、紙幅の都合で論じないと断っている(p. 1165)。
第三の論点は、実在論の理解である。Kwan & Tsang は、独断的な実在論者と批判的な実在論者を区別すべきだと言う(p. 1165)。どちらも、理論は真か偽でありうるし、厳密な研究によって真の説明にしだいに近づけると信じる(p. 1165)。独断的な実在論者はさらに、今の理論がほぼ正確に実在に対応しているので、誤りや批判的な吟味の余地はあまりないと考える(p. 1165)。批判的実在論者は逆に、実在が私たちの心から独立に存在すると信じるからこそ、理論も観察も方法もすべて誤りうると考える(p. 1165)。Mir & Watson が「鏡」や三つの問題として批判したのは実在論ではなく、実在論を独断的実在論や実証主義と同一視したものだ、と二人は言う(p. 1166)。M 型の例についても、生成メカニズムが生む実際の出来事は周囲の偶然的な条件に左右されると考えるので、実在論者は文脈を持ち込むのに構成主義者の助けを必要とせず、それは日常の仕事の一部だ、と反論する(pp. 1166–1167)。結論は、批判的実在論は急進的構成主義や相対主義の罠を避けながら、Mir & Watson の構成主義の洞察を受け入れられる、というものである(p. 1167)。したがって、構成主義の伝統を戦略研究の主流にするのは時期尚早だとする(p. 1167)。
Mir & Watson (2001) は、同じ号で再反論した。二人は、Kwan & Tsang が自分たちの立場を還元的で不正確に読んだ箇所がいくつかあるとしつつ、その主な論点は説得力があると認める(p. 1169)。批判的実在論が主流の実在論から認識論的に大きく離れたもので、戦略研究に役立ちうることにも同意する(p. 1169)。しかし、批判的実在論は構成主義と同じではなく、構成主義の主張は批判的実在論の前提の下に包摂できない、と言う(p. 1169)。批判的実在論は、現象と構造の偶然的な関係に目を向けるとはいえ、事物の固有の秩序は「心から独立」だという実在論の考えになお立っている(p. 1169)。構成主義者は構造を、心から独立した実在にではなく、研究者や理論家の生成的な(したがって構成的な)行為に帰する(p. 1169)。二人は両者の関係を「両立するが、交換はできない」とまとめる(p. 1171)。
「哲学的立場が知見を決める」という点について、Mir & Watson は Kwan & Tsang の読みを否定するのではなく、それは知的な謙虚さの表れだと言い換えた(p. 1172)。実在は理論家が把握し、推論し、権威をもって記述できるという考えのほうに、知的な傲慢の気配がある、というのである(p. 1172)。それでも構成主義は研究を不可能にするものではなく、既存の理論に限界を定め、その限られた範囲でより有効にする方法になる、と二人は言う(p. 1172)。
両者には一致点もある。Kwan & Tsang は、前提を明示することは批判的な吟味の第一歩だとし、この点で Mir & Watson の見方は自分たちの批判的実在論と一致すると書く(p. 1167)。知識が共同の営みであるという、見過ごされがちな事実に注意を向けた点も評価している(p. 1167)。Mir & Watson も、構成主義の研究の多くが非合理的だったり独我論的だったりすることを認め(p. 1170)、認識論的な相対主義には Kwan & Tsang と同じく警戒していると書く(p. 1173)。二人が自分たちの主張の中心として言い直したのは、前提と前提条件の水準での透明性である(p. 1170)。
残った論点もある。Kwan & Tsang は脚注で、Mir & Watson が戦略経営の理論の概念はすべて単なる構成物だとまで言うのかは不明だが、もしそう言うなら存在論的実在論者を名乗るのは奇妙だ、と指摘していた(p. 1165)。Mir & Watson (2001, p. 1171) は再反論の中で、構成主義者は実在そのものを研究者の構成物とみる、と書いている。これは2000年の論文の「存在論的実在論」とどう両立するのか、という問いに、再反論は正面からは答えていない。
論争の中の引用にも注意がいる。Kwan & Tsang (2001, p. 1166) は Mir & Watson の文を「実在論者は組織を効率志向で……単一の現実に支配された実体とみる」と引用している。しかし原文の主語は、その直前に出てくる「戦略経営の多くの実在論的理論」を受けた They であり(Mir & Watson, 2000, p. 946)、「多くの」という限定が落ちている。逆に Mir & Watson (2001, p. 1171) は、Tsang & Kwan (1999) が、研究結果は標本や母集団や研究方法をまたいで追試できないかぎり一般化すべきでないと主張している、と要約する。しかし Tsang & Kwan (1999, p. 765) は、追試では原研究と同じ研究方法を使うことを前提にしており、研究方法をまたいだものを追試とは呼んでいない。どちらの論文を読むときも、相手の主張の要約をそのまま受け取らず、原典に当たる価値がある。
試金石としての追試
立場の違いが具体的に表れる例が、追試(replication)の扱いである。Tsang & Kwan (1999, p. 776) は、追試を高く評価する実証主義と、追試の役割を退けるさまざまな哲学とのあいだに緊張があるとまとめる。実証主義の退潮に過剰に反応して、追試などによる客観的な検証の必要まで否定すると、客観的な真理の可能性を否定する相対主義に陥る危険がある、と二人は言う(p. 761)。そして批判的実在論がこの両極を和解させ、理論の発展の中で追試に適切な役割を与えられる、と主張する(p. 776)。
批判的実在論にとって、社会の研究が誤りうることは追試を不要にするのではなく、可能なかぎり追試をいっそう望ましいものにする(p. 763)。ただし、追試に成功しても決定的な検証にはならず、追試に失敗しても決定的な反証にはならない(p. 770)。二人は追試を、測定と分析の方法が同じか違うかと、データの出どころ(同じデータ、同じ母集団、別の母集団)の二つの軸で、六つの型に分けた(p. 765, 表2 p. 766)。組織研究の追試の多くは、方法も母集団も変える型で、原研究をそのまま繰り返す追試はまれだという(p. 770)。二人が表1(p. 760)にまとめた先行調査では、経営学の9誌から無作為に選んだ実証論文(1976〜1995年)のうち、追試は701本中37本(5.3%)だった。
構成主義の側は、追試を中心に置かない。Mir & Watson (2001, p. 1172) は、構成主義者は追試の問題を自分たちの議論の中心とはみなさない、と書く。二人が実在論と構成主義を対比した表では、測定の理論について、実在論は「正確さの鍵としての追試」、構成主義は「視点の鍵としての文脈」とされている(表1, p. 1171)。ただし、Tsang & Kwan (1999) も、追試の知見を解釈するときに文脈を明らかにする質的研究の役割を認めている(p. 770)。
立場をまたぐ:Lee の統合の枠組み
実証主義的アプローチと解釈的アプローチは対立していて和解できない、という見方は広く共有されている。Lee (1991, p. 342) は、この通念への反論を論文の貢献として掲げた。枠組みを組むときの制約として、両方のアプローチの基本的な考えを受け入れ、どちらかをひいきせず、それぞれの手続きの正当性を統合とは別に認めることを自らに課している(p. 343)。
Lee の枠組みは「三つの理解のレベル」からなる(p. 351)。観察される人々自身の理解(主観的理解)、研究者がそれを読み解いた理解(解釈的理解)、研究者が現実を説明するためにつくり検証する理解(実証主義的理解)である(p. 351)。三つは循環的な関係にあり、一方に欠陥が見つかれば他方の欠陥を探すことになり、一方が改善されれば他方の改善も必要になる(pp. 351, 354)。主観的な意味を丁寧に解釈せずに実証主義的な理解をつくると、人類学が「自民族中心主義」、歴史学が「時代錯誤」と呼ぶ誤りを招く(p. 352)。
Lee が例に使うのは、Nardulli (1978, 1979) の刑事裁判所の研究である。裁判所は適正手続の価値に形づくられた対審の場だという従来の解釈(「法の人」)にもとづく理論は、事件の負担が重くなると機能不全が起こると予測したが、統計的な証拠はこの予測を支持しなかった(pp. 356–357)。Nardulli は9か月の参与観察で、裁判官・検察官・弁護人が自分たちと裁判所組織をどう理解しているかを新たに読み直した(p. 357)。その人々にとって刑事裁判所は、敵対者ではなく互いに協力し連合を組むクラブの会員が集まる「クラブハウス」の意味をもっていた(p. 358)。6本の重回帰分析では、事件の負担の変数に統計的に有意な説明力はなく、この結果は「法の人」の理論を反証すると同時に「クラブハウス」の理論を支持した(p. 361)。
Lee は、この枠組みが統合の唯一の方法でも最善の方法でもないと断っている(p. 343)。一つの研究が二つのアプローチを同じ比重で追求すべきだとも主張していない(p. 363)。例に使った Nardulli の研究についても、理論が描く「クラブハウスの人」の行為が当事者にとって理解できるものかを明示的には確かめていない、と不十分な点を指摘している(p. 360)。
論文を読むときの目安
論文が自分の立場を名乗っていないことは多い。その場合は、理論を実在の構造やメカニズムの記述とみているか、人々の意味の解釈とみているか、研究者の構成とみているか、を本文の書き方から読み取ると、評価の基準がずれずにすむ。立場を明示すると、議論を評価しやすくなる。Mir & Watson (2001, p. 1170) は、論理実証主義の立場から資源ベース論を批判すると明言した Priem & Butler (2001) について、自分たちは論理実証主義を支持しないが、その批判にはかなりの価値を認める、と書いている。
どの立場をとっても、それだけで研究の質は保証されない。Mir & Watson (2001, p. 1173) は、特定の理論や方法論を採ることは研究の質を保証しないと念を押し、良い理論は前提について明確で、方法について厳密で、知見の一般化について慎重でなければならない、と結んでいる。この点は、論争の相手だった Kwan & Tsang の「前提を明示することは批判的な吟味の第一歩だ」という言葉とも重なる。
主な文献
- Lee, A. S. (1991). Integrating positivist and interpretive approaches to organizational research. Organization Science. DOI ↗主観的・解釈的・実証主義的の三つの理解のレベルで、二つのアプローチを統合する枠組みを示した。
- Tsang, E. W. K., & Kwan, K.-M. (1999). Replication and theory development in organizational science: A critical realist perspective. Academy of Management Review. DOI ↗批判的実在論の立場から追試の意義を論じ、追試を六つの型に分けた。
- Mir, R., & Watson, A. (2000). Strategic management and the philosophy of science: The case for a constructivist methodology. Strategic Management Journal. DOI ↗構成主義を存在論的実在論と認識論的相対主義の組み合わせとし、戦略研究での意義を論じた。
- Kwan, K.-M., & Tsang, E. W. K. (2001). Realism and constructivism in strategy research: A critical realist response to Mir and Watson. Strategic Management Journal. DOI ↗批判的実在論の立場から反論し、構成主義の洞察は批判的実在論に取り込めるとした。
- Mir, R., & Watson, A. (2001). Critical realism and constructivism in strategy research: Toward a synthesis. Strategic Management Journal. DOI ↗批判的実在論と構成主義は両立するが交換はできないと再反論した。
- Miller, K. D., & Tsang, E. W. K. (2011). Testing management theories: Critical realist philosophy and research methods. Strategic Management Journal. DOI ↗批判的実在論を実在論的存在論と可謬主義的認識論の組み合わせとして説明した。
- Kilduff, M., Mehra, A., & Dunn, M. B. (2011). From blue sky research to problem solving: A philosophy of science theory of new knowledge production. Academy of Management Review. DOI ↗存在論と認識論の二つの問いで科学哲学の立場を四つの象限に並べた。
批判と境界条件
この項目の根拠にも限界がある。構成主義と批判的実在論の論争は、戦略研究の学術誌の一つの号で交わされた、1往復の論評にもとづく。Kwan & Tsang (2001) は相対主義がなぜ受け入れられないかを紙幅の都合で論じておらず(p. 1165)、Tsang & Kwan (1999) も相対主義を一文で定義するだけである(p. 761)。Tsang & Kwan (1999) は論争より前の論文で、構成主義には触れていない。Mir & Watson (2001, p. 1172) は、構成主義的な戦略研究は多くないと認めている。Lee (1991) の統合の議論は、この論争と引用関係がなく、実在論や構成主義を定義していない。Miller & Tsang (2011, p. 144) は、批判的実在論を他の哲学的立場と比べることは論文の範囲外だとしている。プラグマティズムは、この項目では扱っていない。Popper、Kuhn、Lakatos、Bhaskar の著作は原典を読んでおらず、ここで紹介した論文を通してのみ触れている。機能主義・解釈主義などのパラダイムの橋渡しを論じた Gioia & Pitre (1990) も、この項目では原文を読んでいない。
研究上の位置づけ
出典
- Lee (1991), Organization Science ↗
- Tsang & Kwan (1999), Academy of Management Review ↗
- Mir & Watson (2000), Strategic Management Journal ↗
- Kwan & Tsang (2001), Strategic Management Journal ↗
- Mir & Watson (2001), Strategic Management Journal ↗
- Miller & Tsang (2011), Strategic Management Journal ↗
- Kilduff et al. (2011), Academy of Management Review ↗
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