理論とは何かWhat Is Theory?
「理論」という言葉は、変数の関係の命題、現象の説明、解釈、ものの見方など、いくつもの意味で使われている。何が理論でないかについては比較的合意があるが、理論化には説明・解釈・批判など複数の形がある。経営学は理論を求めすぎているという批判と、理論の価値を擁護する議論もある。
「理論」という言葉は、一つのものを指していない
経営学の論文や査読では、「理論的な貢献がない」「理論が弱い」という言葉がよく使われる。しかし「理論」が何を指すかについては、研究者の間でも合意が乏しい(Sutton & Staw, 1995, p. 372)。
Abend (2008) は、社会学で「theory」という語が七つの意味で使われていることを示した(p. 174)。第一は、二つ以上の変数の関係を述べる一般的な命題、またはその体系である(p. 177)。第二は、ある特定の社会現象の説明である(p. 178)。第三は、経験的な世界の一部についての独創的な「解釈」や「読み方」である(p. 178)。第四は、Marx、Weber、Durkheim などの著作の研究である(p. 179)。第五は、世界を見て解釈するための全体的な見方(世界観)である(p. 179)。第六は、批判理論やフェミニスト理論のように、根本的に規範的な要素を含む議論である(p. 180)。第七は、ミクロとマクロの関係や、構造と主体の関係のような、社会学が直面してきた特別な問題の研究である(p. 181)。
Abend によれば、問題は、「理論」という語に対応する何か一つのものがあると思い込むことにある(p. 182)。その結果、見かけだけの対立や、すれ違いが生まれる(p. 184)。たとえば、事例が一つしかなければ、第一の意味での理論的な結論は出せないが、民族誌や歴史研究からは、第二・第三の意味での理論的な結論が出せる(p. 183)。そうだとすれば、少ない事例の研究をめぐる査読者と著者の対立は、本当の不一致ではない(p. 183)。Abend は、「理論」という語を紛らわしい場面で使うときには、どの意味で使っているのかを明示するよう提案している(p. 192)。
理論でないもの
経営学でよく読まれてきたのが、Sutton & Staw (1995) の「理論でないもの」である。二人は、何が強い理論かについては合意が乏しくても、文献の引用、データ、変数や構成概念の一覧、図、仮説が理論でないことには、より合意があると論じた(p. 371)。これらは論文にとって重要だが、それ自体は理論ではない(p. 372)。
既存の理論の名前を挙げて文献を並べることは、その理論に含まれる因果の論理を説明することとは違い、ときに理論がないことを隠す煙幕にもなる(pp. 372–373)。データはどんなパターンが観察されたかを述べ、理論はなぜそのパターンが観察されたのかを説明する(p. 374)。変数を並べるだけでなく、なぜそれらが生じ、なぜつながるのかを説明しなければならない(p. 375)。図は舞台の小道具であって、演技そのものではない(p. 376)。仮説は何が起きるかを述べた簡潔な文で、なぜ起きるかを述べてはいない(p. 377)。
では理論とは何か。二人は、理論とは「なぜ」への答えであり、行為や出来事や構造がなぜ生じるのかについての、現象どうしのつながりの物語だとする(p. 378)。ただし、自分たちの強い理論の描写は、現実的な期待というより願望のリストだとも認めている(p. 378)。
反論:製品としての理論、過程としての理論化
同じ号で、Weick (1995) と DiMaggio (1995) がこの論文にコメントを寄せた。Weick は、理論は何かを付け足すことで生まれるのではない、という Sutton & Staw の主張を支持しつつ(p. 385)、五つが理論でないとは言い切れないと述べた(p. 385)。理論化の産物が完全な理論として現れることはまれで、組織研究で理論と呼ばれているものの多くは近似だからである(p. 385)。Weick は1989年の論文でも、理論はカテゴリーではなく程度の問題であり、一般化が理論の基準を満たすほど理論と呼ぶにふさわしくなる、と書いていた(Weick, 1989, pp. 516–517)。
怠けた結果も、懸命に取り組んでいる途中の産物も、見た目は同じ引用やデータや図になりうる(Weick, 1995, p. 385)。だから、製品だけを見て理論かどうかを判断するのは難しく、それがどんな文脈、つまり理論化の過程の中にあるのかを知る必要がある(p. 387)。理論化とは、抽象化し、一般化し、関係づけ、選び、説明し、統合し、理想化する、といった活動からなる(p. 389)。五つは、その途中で進み具合をまとめ、方向を示す目印になるが、それ自体は理論ではない(p. 389)。
DiMaggio (1995, p. 391) は、理論がどうあるべきかについて少なくとも三つの見方があり、どれにも妥当性と限界があるとした。第一は、世界を記述する一般化の集まりとしての包括法則、第二は、複雑で逆説に富み、見慣れたものを異化する啓蒙、第三は、社会の過程についての物語である(p. 391)。Sutton & Staw は包括法則の見方を暗に退け、穏やかな物語の見方をとっている(pp. 391–392)。優れた理論の多くは三つの混成だという(p. 392)。また、理論がどう受け入れられるかは、時代や読み手の文化的な前提とどれだけ響き合うかで決まる、という仮説も示している(p. 394)。ただし DiMaggio は、自分のコメントは Sutton & Staw の主な議論を疑うものではなく、限定を加えるものだと明言している(p. 396)。
理論化の形は一つではない
Cornelissen et al. (2021) は、理論を説明のメカニズムや法則的な関係と同一視するのは、理論の一つの見方にすぎないとした(p. 2)。すべての理論化に共通する核は概念化で、関心のある対象を特定の理論的な概念で名づけ、枠づけることである(p. 3)。
著者らは、理論化を三つの関心に分けた(p. 6)。説明を目指す理論化には、「もし〜なら」という命題に分ける命題的な理論化、複数の概念の組み合わせのパターンで説明する配置的な理論化、時間の中での展開を扱う過程的な理論化がある(pp. 8–9)。解釈を目指す理論化には、新しい見方を示す視点的な理論化と、理論化という営みそのものに目を向けるメタ理論化がある(p. 10)。解放を目指す理論化には、現状を批判してより良い代案を示す理論的な挑発と、批判的なメタ理論化がある(pp. 12–13)。
形が違えば、評価の基準も違う。多くの人が理論化の頂点と考える、少数のメカニズムの特定や精密な概念の定義を、解放を目指す理論化に求めても意味がない(Cornelissen et al., 2021, p. 14)。著者らは、理論の多様さを分野の強みにすべきだとする(p. 15)。ただしこの分類は、編集者としての経験と自誌の掲載論文にもとづく理念型で、きっちり区別されたモデルではないと断っている(p. 6)。
何を「理論的な貢献」とみなすか
理論的な貢献の古典としてよく引かれるのが、AMR の編集者だった Whetten (1989) である。Whetten は Dubin (1978) にならい、完全な理論には四つの要素が必要だとする(p. 490)。何を(What:どの要因を説明に含めるか)、どのように(How:要因どうしがどう関係するか)、なぜ(Why:要因の選択と因果関係を正当化する心理的・経済的・社会的な力学は何か)、そして誰が・どこで・いつ(Who, Where, When:理論が当てはまる範囲)である(pp. 490–492)。What と How は記述するだけで、説明するのは Why だけである(p. 491)。データは質的でも量的でも特徴を示すものであり、その特徴を説明するのが理論である(p. 491)。
既存のモデルに要因を足したり引いたりするだけでも原理的には重要な貢献になりうるが、それで査読者が満足することはめったにない、と Whetten は言う(p. 492)。新しい変数が、因果の地図を組み替えて現象の理解を大きく変えることを示して、はじめて理論的な洞察になる(p. 493)。同じように、古いモデルを新しい場面に当てはめて予想どおりに働くと示すだけでは、それ自体では得るものがない(p. 493)。Why を変えることは、おそらく最も実りが多いが最も難しい理論の発展の道で、多くは他の分野から視点を借りることで起こる(p. 493)。
論文の後半で Whetten は、査読者がよく持ち出す懸念を、頻度のおおよその順に七つの問いにまとめた(p. 494)。何が新しいか(What's new?)、それで何が変わるか(So what?)、なぜそう言えるか(Why so?)、要素がそろっているか(Well done?)、よく書けているか(Done well?)、なぜ今か(Why now?)、誰が関心をもつか(Who cares?)である(pp. 494–495)。この七つは、書き方や体裁の懸念も含むと Whetten 自身が書いており(p. 494)、理論的な貢献の定義そのものではない。Whetten は、この論文が理論の新しい概念化を目指すものではなく日々の編集から生まれた個人的な考察で、AMR の公式の教義でも鉄則でもないと断っている(p. 490)。前の節で見たとおり、Cornelissen et al. (2021) は、理論を Whetten 流の法則的な関係と同一視するのは理論の一つの見方にすぎないとしている。
Corley & Gioia (2011, p. 12) は、理論的な貢献についての論説を整理し、評価の軸を独創性(少しずつ理解を進めるか、目を開かせるか)と有用性(科学的に有用か、実践的に有用か)の二つにまとめた。実際の編集の考え方は科学的な有用性に強く偏っており、実践的な有用性はおもに口先だけで扱われていると指摘する(p. 18)。著者らは、何を知る必要があるかを見定め、その枠づけに影響を与える予見(prescience)を理論化に取り入れるよう提案した(p. 23)。これは未来を予言することではない(p. 24)。また、すべての理論的な研究が予見を目指すべきだとも言っていない(p. 25, 注7)。
理論は多すぎるか
逆に、経営学は理論にこだわりすぎているという批判もある。Hambrick (2007, p. 1346) は、経営学の「理論への執着」が、まだ理論のない興味深い現象の詳しい報告を妨げ、説明はないが重要な事実の報告を締め出していると論じた。2005年に AMJ、ASQ、Organization Science に載った120本はすべて本文に「theory」の語を含んでいたが、マーケティング、ファイナンス、会計の主要誌の178本では78%だった(p. 1347)。弊害として、事実が理論を待たされること、ねじれた重い文章、単純な検証が軽んじられることの三つを挙げる(pp. 1348–1350)。既存の理論の素直な検証は論文になりにくく、そのため経営学は考えの数に比べて検証が異様に少ない(p. 1350)。
ただし Hambrick は、理論を捨てよとは言っていない。理論は欠かせず、それなしに経営学は進まないが、執着が行き過ぎている、というのが主張である(p. 1346)。提案は、「理論への貢献」の要求を、将来の研究を刺激して理論や実践を大きく変える見込みがあるかという基準に置き換えること(p. 1350)と、再現を含む理論の素直な検証のための雑誌をつくることである(p. 1351)。実は Sutton & Staw (1995, pp. 381–382) も、強い理論と正確な測定の両方を求める要求が、データに合わせて理論をつくる「偽善的な書き方」を生んでいると認め、面白い理論には検証の基準をゆるめるべきだと提案していた。
理論を擁護する側では、Suddaby (2014, p. 407) が、理論とは何かについては意外に合意があり、それは現象の経験的な複雑さに概念の秩序を与える方法だとした。意見が分かれるのは、理論の価値についてである(p. 407)。Suddaby は、知識を蓄積する、知識を抽象化する、新しい現実をつくる(規範的な価値)、知識を正統なものにする、という四つの価値を挙げた(pp. 407–409)。概念の枠組みなしに知識は蓄積できず(p. 408)、理論を手放すことは正統性を手放すことだという(p. 409)。一方で、理論が経験的な世界から切り離される「理論フェティシズム」や、行き過ぎたキャリア主義の危険も認めている(pp. 408–409)。なお、Suddaby は Hambrick を「理論が多すぎる」と言う論者として挙げているが、Hambrick の個々の提案には触れておらず、理論を捨てる者への警告は、理論の放棄を唱えていない Hambrick にはそのまま当てはまらない。
論文を読むときの目安
第一に、「理論」がどの意味で使われているかを見る。変数の関係の一般命題なのか、特定の現象の説明なのか、解釈なのか、ものの見方なのかで、何を期待すべきかが変わる(Abend, 2008, pp. 177–179)。このサイトの「理論」の項目にも、変数の関係を述べるものと、ものの見方を示すものが混ざっている。
第二に、「なぜ」に答えているかを見る。引用の数、変数の一覧、図、仮説があっても、なぜそうなるのかの論理がなければ、Sutton & Staw の意味での理論はない(pp. 371–377)。
第三に、その論文がどの形の理論化を目指しているかを見て、それに合った基準で読む(Cornelissen et al., 2021, p. 14)。第四に、理論的な貢献の少ない事実の報告や、既存の理論の再現も、知識を進める手段になりうることを忘れない(Hambrick, 2007, pp. 1348, 1351)。
主な文献
- Sutton, R. I., & Staw, B. M. (1995). What theory is not. Administrative Science Quarterly. DOI ↗引用、データ、変数の一覧、図、仮説は理論でないとし、理論を「なぜ」への答えとした。
- Weick, K. E. (1995). What theory is not, theorizing is. Administrative Science Quarterly. DOI ↗理論の多くは近似であり、製品でなく理論化の過程を見よと反論した。
- DiMaggio, P. J. (1995). Comments on "What theory is not". Administrative Science Quarterly. DOI ↗理論の三つの見方(包括法則・啓蒙・物語)を示し、良い理論は混成だとした。
- Abend, G. (2008). The meaning of 'theory'. Sociological Theory. DOI ↗「theory」の七つの意味を区別し、意味の混乱が見かけの対立を生むことを示した。
- Cornelissen, J., Höllerer, M. A., & Seidl, D. (2021). What theory is and can be: Forms of theorizing in organizational scholarship. Organization Theory. DOI ↗説明・解釈・解放の三つの関心と七つの理論化のスタイルを示した。
- Corley, K. G., & Gioia, D. A. (2011). Building theory about theory building: What constitutes a theoretical contribution?. Academy of Management Review. DOI ↗理論的貢献を独創性と有用性の二軸で整理し、予見を提案した。
- Suddaby, R. (2014). Editor's comments: Why theory?. Academy of Management Review. DOI ↗理論の価値を四つに整理し、理論を手放す危険を論じた。
- Hambrick, D. C. (2007). The field of management's devotion to theory: Too much of a good thing?. Academy of Management Journal. DOI ↗理論への貢献の要求が強すぎることの弊害を論じ、事実の報告と検証の場を求めた。
- Whetten, D. A. (1989). What constitutes a theoretical contribution?. Academy of Management Review. DOI ↗理論の四つの要素を示し、What と How は記述、Why だけが説明だとした。
- Weick, K. E. (1989). Theory construction as disciplined imagination. Academy of Management Review. DOI ↗理論はカテゴリーではなく程度の問題だとした(理論化の過程は、理論化と問いの立て方の項目で紹介)。
批判と境界条件
この項目の根拠にも限界がある。Sutton & Staw (1995) の議論は、二人の編集の経験にもとづく論説である。Abend (2008) が分析したのは社会学の言葉づかいで、経営学を直接扱ってはいない。Cornelissen et al. (2021) の分類は、理論的な論文を対象にし、例のほとんどを自誌から取っている(pp. 1, 6)。Hambrick (2007, p. 1348) は、経営学が他分野より遅れているという判断は印象にもとづくと認め、単語の数え上げも2005年の3誌ずつにとどまる(p. 1347, 注4)。理論的な貢献の古典とされる Bacharach (1989) は、この項目では原文を読んでいない。
研究上の位置づけ
出典
- Sutton & Staw (1995), Administrative Science Quarterly ↗
- Weick (1995), Administrative Science Quarterly ↗
- DiMaggio (1995), Administrative Science Quarterly ↗
- Abend (2008), Sociological Theory ↗
- Cornelissen et al. (2021), Organization Theory ↗
- Corley & Gioia (2011), Academy of Management Review ↗
- Suddaby (2014), Academy of Management Review ↗
- Hambrick (2007), Academy of Management Journal ↗
- Whetten (1989), Academy of Management Review ↗
- Weick (1989), Academy of Management Review ↗
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