研究法

組織エスノグラフィーOrganizational Ethnography

研究者が組織の現場に長く身を置き、人々の言動とその意味づけを観察して書き上げる研究の進め方。現場の人が語る「体裁」と実際の行動をどう見分けるか、一つの現場から何が言えるかについて、方法の側が自ら限界を認めつつ答えている。

この項目が扱う問い組織の現場に長く入り込んで観察し、書くことで、何がどこまで分かるのか。
01

どんな方法か

組織エスノグラフィー(organizational ethnography)は、研究者が組織の現場に長く身を置き、そこで起きていることを自分の目で見て、人々の話を聞き、それを文章に書き上げる研究の進め方である。Van Maanen (2011, p. 218) は、エスノグラフィーを「社会研究への方法論的なアプローチであると同時に、分析の視点でもある」と定義している。同じ論文で Van Maanen は Geertz の言い方を借りて、人類学者が村を研究するのではなく村の中で研究するように、組織エスノグラファーは組織を研究するのではなく、組織の中で研究するのだと書いている(p. 221)。扱うのは、研究者の目に映った人々の行動そのものではなく、その人々が自分たちのしていることをどう見ているかである(同 p. 228)。

エスノグラフィーは、現場で調べる方法であると同時に、書かれたもの(テクスト)でもある。Van Maanen (2011, p. 224) は「書かれるまでは、エスノグラフィーというものはそもそも存在しない」とまで言う。そのうえで彼は、エスノグラフィーの仕事を、現場に入るフィールドワーク(fieldwork)、概念を練るヘッドワーク(headwork)、文章を書くテキストワーク(textwork)の三つに分けて論じている(p. 218)。

ただし、Van Maanen (2011) はエスノグラフィーの方法を体系的に解説した総説ではない。Journal of Management Studies の「Point–Counterpoint」という企画で、Tony Watson が書いた論考(Point)への応答(Counterpoint)として書かれたもので、冒頭は、Watson の指摘のほとんどが役に立つと述べるところから始まる(p. 218)。このページでは Watson の論考そのものは読んでおらず、Watson の主張には Van Maanen (2011) を通してしか触れない。たとえば Van Maanen によれば、Watson はエスノグラフィーを「社会科学の文章のスタイル(a style of social science writing)」と定義しており、上の「書かれるまでは存在しない」という主張は、これに同意して強めたものである(pp. 223–224)。もう一つの主な文献である Van Maanen (1979) は、著者自身が警察で行ったフィールドワークの経験を素材に、現場で集めたデータのどこまでが事実なのかを論じた論文である。

エスノグラフィーという語は、データの集め方と分析の仕方の両方を指しうる。Pratt (2009, p. 856) は、事例研究やエスノグラフィーの方法でデータを集めたうえで、分析でもそのままエスノグラフィーの方法(Spradley, 1979)を使うことも、グラウンデッド・セオリーを使うこともできると書いている。

02

フィールドワークの実際:長く入り込み、無知から始める

Van Maanen (2011, p. 219) は、現場に没入するフィールドワークこそがこの仕事を定義するものだと書く。フィールドワークとは、身体、信念、性格、感情、認知といった研究者自身を、現場の人々に作用するのと同じ状況にさらすことで研究の材料を集める技法だという(同 p. 219)。研究者は現場の外に置かれた観察装置ではなく、自分も現場の出来事に巻き込まれる一人として材料を得るのである。

出発点は何も分かっていないことである。Van Maanen (2011, p. 220) によれば、研究者の学び、洞察、感受性、そして最終的に現場を描き出す力は、研究の初めに何も分かっていない(clueless)ことによってこそ伸びる。そして「近道はない」。現場にいること、そして見知らぬ人々の親切に頼ることなしに、その世界のしきたりを覚える方法はない、と Van Maanen は書く(同 p. 220)。なお、論文の副題は「関与のルール(rules of engagement)」だが、Van Maanen 自身はそのねらいを、職人仕事のようなルールをいくつか素描することだと述べ、その多くは実際的なもので、エスノグラファーが研究を進めながら作り変えていくものだとしている(pp. 218–219)。

ヘッドワークとは、フィールドワークと、それを表現するさまざまな実践を方向づける概念の作業を指す(Van Maanen, 2011, p. 222)。関係しうる先行研究は圧倒的に多く、できるのはそのごく一部を選んで追いかけ、残りには「悪意のない無視」の態度をとることくらいだ、と Van Maanen は注で認めている(p. 232)。テキストワークは、書くことが手間のかかる職人仕事であり、エスノグラファーの仕事の大きな部分を占めることを伝えるための造語である(p. 224)。Van Maanen (2011, p. 224) は、自著『Tales of the Field』(1988年)で示した三つの語り方、すなわち写実的な物語(realist tales)、告白的な物語(confessional tales)、印象派的な物語(impressionist tales)という分類が、いまもかなりよく持ちこたえているとしている。

現場の人々もまた、研究者を観察している。Van Maanen (2011, p. 232, 注1) は、警察を観察していたころを振り返って「私が見張る者たちを見張っているあいだ、彼らも私を見張っていた」と書き、彼らの「研究」の結果が自分の研究に影響したことは疑いないと認めている。

03

第一次の概念と第二次の概念

現場で集めたものを整理するために、Van Maanen (1979) は二種類の概念を区別した。第一次の概念(first-order concepts)はエスノグラフィーの調査における「事実」であり、第二次の概念(second-order concepts)は、分析者がそれらの事実を整理し説明するために使う「理論」である(p. 540)。前者は現場の人々(インフォーマント、informant)の視点の側にあり、後者は研究者の側にある。

Van Maanen (1979, p. 540) は、第一次のデータには、たとえば逮捕件数のような記述的な事実と、それに現場の成員が与える解釈という二つのレベルがあるとも述べている。論文全体は、呼び出しへの割り込み(call jumping)、路上の正義(street justice)、警官への割引(policeman's discount)、違反切符を切りやすい持ち場(duck ponds)など、著者自身の警察研究の具体例で組み立てられている(pp. 541–547)。

この用語は、のちの質的研究にも受け継がれた。Gioia et al. (2013, p. 18) は、自分たちの「1次(1st-order)・2次(2nd-order)」の分析の用語法の着想源として Van Maanen (1979) を明記している。Gioia 法の1次の分析は、インフォーマントの言葉にできるだけ忠実に従おうとするもので(Gioia et al., 2013, p. 20)、その前提として、組織の人々は自分が何をしようとしているかを知っていて、自分の考えや意図や行動を説明できる「知識のある行為者(knowledgeable agents)」だと仮定している(同 p. 17)。これに対して Van Maanen (1979, p. 544) は、「人は自分にとって最も大事なことについて嘘をつく」ことを、エスノグラフィーの方法の中心的な前提に置いている。二つを並べると、同じ「1次・第一次」という言葉を使っていても、現場の人々の言葉をどこまで額面どおりに受け取るかについて、出発点に違いがあることがわかる。

04

現場の人が語ることを、どこまで信じられるか

Van Maanen (1979) は、第一次の概念をさらに二つに分ける。実際の行動のデータ(operational data)は、研究者が現場で自ら加わり観察した、その場で自然に起きる会話や活動の流れを記録したものである(p. 542)。体裁のデータ(presentational data)は、インフォーマントが、研究者や部外者、職場の同僚、親しい人々、そしてある程度は自分自身の目に対して、保とうとする(あるいはよく見せようとする)見かけにかかわるものである(同 p. 542)。Van Maanen は、この二つを見分けることを、現場のエスノグラファーが直面する中心的な分析課題と位置づけている(p. 540)。

前節で見たように、Van Maanen は人が大事なことについて嘘をつくことを前提に置く(p. 544)。意図的な欺きによって隠されやすい、信用を損なう情報について、彼は三つの種類を挙げている(p. 545)。第一に、本人が恥じて隠している欠点(hidden failings)、第二に、組織の中の特定の誰かの欠陥についての暴露("rotten apple" disclosures)、第三に、集団で共有されている秘密(collective secrets)である。

研究者が誤った方向に導かれる経路も、三つに整理されている。第一に、インフォーマントがそう望むから、つまり意図的に嘘をついたり隠したりするからである(p. 544)。第二に、インフォーマント自身が、自分たちにかかわる事柄について誤解していたり間違っていたりするからである(p. 545)。第三に、インフォーマントが、自分たちの活動の根底にあるものの一部にまったく気づいていないからである(p. 546)。論文ではこれらが、ある種の逮捕をする圧力などまったく感じていないと言う警官たちが、実際には酒場の外で客が車で出てくるのを待っていた場面(p. 544)、警官への割引が本当にあるのかをバッジを見せて確かめた挿話(pp. 545–546)、違反切符を切りやすい持ち場という当然視された慣行(p. 546)といった具体例とともに論じられている。

では、研究者はどう見分けるのか。Van Maanen (1979, p. 543) は、「路上の正義(street justice)」についての警官たちの話を例に、体裁と実際を分けるには、話の中身をほかに聞いた話と突き合わせるだけでなく、何よりもその実行を自分の目で見て、他人から聞いた説明と比べる必要があったと書いている。ところが、そこには限界がある。サンプルは使えず、1年半のフィールドワークで、インフォーマントがためらいなく「路上の正義」と呼ぶものを目にしたのは4、5回だけだった(同 p. 543)。また Van Maanen は、無作為であること自体は、データがどこまで信じられるかを判断するうえでほとんど価値がないとし、研究者の記述は、その現場で最も事情に通じた(そして率直な)人々からの情報の上に築くべきだとする(p. 545)。

題名にある「フィクション」は、この取り違えにかかわる。欺きに気づかなければ、作り話(fictions)が事実として報告され、逆に事実が作り話として報告される可能性がはっきりと生じる、と Van Maanen (1979, p. 540) は書く。つまり、体裁を実際の行動と取り違える危険と、その逆の危険の両方である。さらに彼は、エスノグラフィーは(日常生活と同じく)「見れば信じる」ものであると同時に「信じれば見える」ものでもあると書き(p. 544)、観察と解釈が切り離せないことを認めている。

05

懐疑的な読者の疑問に答える

質的研究に懐疑的な読者からは、少なくとも三つの疑問が出るだろう。「観察者の主観ではないか」「一つの現場から何が言えるのか」「なぜそれほど長く現場にいる必要があるのか」である。第一の疑問に対して、Van Maanen は主観がかかわることを否定しない。エスノグラファーがデータと呼ぶものは、人々が自分や仲間の言動について作り上げたものを、さらに研究者が作り上げたもの、つまり「構築物の構築物」だという(Van Maanen, 2011, p. 228)。また、エスノグラファーの多くが身を置く解釈主義の陣営は、自分の社会的な位置、アイデンティティ、政治的な好み、受けた訓練などが経験的・分析的・叙述的な方向づけに影響することを(いつも活字にするわけではないが)認めているのに対し、実証主義の陣営は認めていない、と注で書いている(p. 233)。

そのうえで、解釈を点検する手がかりも示されている。他人の内面について何かが分かるとすれば、それは意識への魔法のような侵入によってではなく、その人の表現を通してである、という Geertz (1986) の言葉で Van Maanen (2011, p. 234) は論文を締めくくる。研究者は間違っているかもしれないが、あとから同じ現場に入る研究者や、現場の人々自身がきっとそれを知らせてくれる、とも書く(p. 228)。「現地の人の視点」という言葉が出てきたら、批判的な読者はまず「どの現地の人か」と問うべきだという注意も添えている(同 p. 228)。1979年の論文には、研究者の最初の解釈が掘り下げによって改められた例もある。警官が家庭内のもめごと(family beef)の通報をさげすむ理由を、Van Maanen は当初、面倒や危険といった職業上の理由で説明していたが、掘り下げると、自立していない者への警官自身の道徳的な軽蔑が根にあったと分かったという(pp. 547–548)。

第二の疑問、「一つの事例から何が言えるのか」という使い古されたありふれた問いに、Van Maanen (2011, p. 227) は、本人いわく生意気だが賢い答えとして「言えることはすべて」と答え、普遍的なものは特殊なものの中に見出せるらしい、と続ける。背景にはプラグマティズムがある。研究の問いに方法を決めさせるべきだという規則には慣れているが、プラグマティズムは、問いに理論をも決めさせるべきだと示唆する、と Van Maanen は書く(p. 222)。一つの大理論を掲げるよりも、Goffman (1961) の言う「子どもたちが皆で震える一つの立派なテントより、ちゃんと着せるためのいろいろな上着」のほうがよい、という立場である(p. 223)。1979年の論文も、長い研究の終わりにあってさえ、エスノグラファーが唱える理論は、暫定的に、留保と但し書きに満ちた形で主張されるにとどまりやすいと書いている(p. 549)。

第三の疑問への答えは、先に見た見分け方にある。Van Maanen (1979, p. 548) によれば、エスノグラフィーの分析と検証は、データを集め終わってから取りかかるものではなく現場から持ち帰るものであり、情報を人をまたぎ、状況をまたいで確かめられる現場でしか行えない。体裁と実際を分けるために、話を聞くだけでなく自分の目で見る必要があったこと(p. 543)も、長くいる理由である。ただし Van Maanen は、もっと掘り下げれば核心の事実が明らかになり研究に区切りがつくという感覚を、「結局のところ幻想である。急いで付け加えれば、まったく必要な幻想ではあるが」と書いている(p. 549)。

最も率直な限界は、理論とデータの「当てはまり(fit)」の正当化についての言明である。当てはまりをどう確立し正当化するかは、開かれた、かなり循環的な、そして最終的にはまったくレトリックの問題だ、と Van Maanen (2011, p. 232, 注3) は書く。懐疑的な読者には「やはり主観ではないか」と映るかもしれないが、著者はこの点を隠していない。

06

エスノグラフィーにとっての信頼性

質的研究の信頼性(trustworthiness)を論じた Pratt et al. (2020) は、量的研究の再現性の危機を受けて質的研究にも再現(replication)を求める動きを批判し、透明性を再現に固く結びつけることは、再現が研究の目指すところを外している質的研究にとって深刻な問題だと書いた(p. 1)。そのうえで Table 1 で、自然主義的探究、事例研究/実証主義、エスノグラフィー、プロセス研究という四つの立場について、信頼できる(あるいは良い)質的研究を確立する手段を並べている(pp. 10–11)。エスノグラフィーの欄は Locke & Golden-Biddle (1997) にもとづき、真正性(authenticity)、もっともらしさ(plausibility)、批判性(criticality)の三つを挙げている(pp. 10–11)。ただし表の脚注は、これらの著者が論じているのは、エスノグラフィーの仕事がなぜ説得力をもつかであって、なぜ信頼できるかではない、と断っている(p. 11)。

Pratt et al. (2020, p. 9) は、こうした基準を、すべての質的研究に当てはめる固定したチェックリストではなく、研究者が主張したいことと、立脚する存在論に応じて選ぶべき選択肢だとしている。同じ論文は、先行研究が挙げる次元で似て見える二つの組織を選んでエスノグラフィーでデータを集め、似ているにもかかわらず結果が大きく異なることを見出す Kellogg (2009, 2012) 型の比較を、Eisenhardt 型とは「まったく異なる種類の事例比較」でありながら「同じくらい信頼できる」ものとして並べている(p. 13)。Pratt (2009, p. 859) は、自分が集めていない資料をコーディングするなら複数のコーダーを使いその一致度を示すことを当然期待するが、長期のエスノグラフィーで自分のデータを他人に十分にコーディングしてもらうことを期待するのは意味をなさない、と書いている。

Pratt (2009, pp. 858–859) が質的研究の論文の方法の節に書くよう勧める「基本」には、研究者と研究される人々の関係、すなわち「フィールドでの立場」も含まれており、その例として Anteby (2008) が挙げられている。Anteby (2008) は、Van Maanen (2011, pp. 222–223) が、表面上は両立しない複数の理論を組み合わせてフィールドの材料を説明した最近のエスノグラフィーの例として挙げる研究でもある。見張る者もまた見張られるという Van Maanen の指摘(2011, p. 232)と同じく、研究者が現場でどんな位置にいたかは、研究にどう取り組んだかを読者に伝える材料になる(Pratt, 2009, p. 859)。

07

経営学・組織研究の中での位置

Van Maanen (2011, p. 230) は、組織エスノグラフィーを、小さいが活気のある、ただし周辺的な下位分野(あるいは下位の下位分野)だと書く。Watson の提案に対して、彼は「懐疑的であり、かなり落ち着かない」と応じ、それがこの下位分野を損ないかねないと述べる(p. 230)。理由は、組織行動論や組織論といった広い分析領域へのエスノグラフィーの貢献が、まさに主流にいないことから生まれているからだという(同 p. 230)。結局、エスノグラフィーが「科学にとって安全なもの」にされることはなく、組織研究の大きなテントの少し外にとどまるだろう、と彼は書く(p. 232)。どの領域でも、模範的で影響力のある質の高い仕事は定義上まれだ、とも認めている(p. 231)。

ほかの流派との違いは、Eisenhardt (1989) の自己規定によく表れている。Eisenhardt (1989, p. 546) は、自分の示す事例研究の手順は、とりわけ Strauss (1987) や Van Maanen (1988) と比べて実証主義的であり、場面を越えて一般化できる、検証可能な仮説と理論の構築をめざすと書く。これに対して Strauss や Van Maanen は、研究する具体的な事例について豊かで複雑な記述が立ち上がることにより関心をもち、一般化できる理論の構築にはあまり関心がないように見える、と位置づけている(同 p. 546)。理論は暫定的にしか主張されないという言明(Van Maanen, 1979, p. 549)や、エスノグラフィーには状況の細部への没入と結びつかない一般化や抽象化への反発がつねにあったという言明(Van Maanen, 2011, p. 222)と並べると、両者は一般化に向ける姿勢が異なる。

それでも、Van Maanen (1979) は質的研究の典拠としてよく挙げられる。Gehman et al. (2018, p. 284) は、自分たちが調べた質的研究の論文が、Eisenhardt、Gioia、Langley の3人とともに、Yin、Strauss & Corbin、Lincoln & Guba などと並んで van Maanen (1979) を引用していたと書いている。Pratt et al. (2020, p. 14) は Van Maanen (1995) の言葉を借りて、質的研究を「千の花が咲く」分野であり、それぞれが独自の存在論と認識論をもつと表現している。

08

主な文献

  • Van Maanen, J. (1979). The fact of fiction in organizational ethnography. Administrative Science Quarterly. DOI ↗第一次の概念と第二次の概念を区別し、第一次の概念を実際の行動のデータと体裁のデータに分けた。現場の人の語りをどこまで信じられるかを、著者自身の警察研究の例で論じた。
  • Van Maanen, J. (2011). Ethnography as work: Some rules of engagement. Journal of Management Studies. DOI ↗Tony Watson の論考への応答(Point–Counterpoint)。フィールドワーク、ヘッドワーク、テキストワークの三つの作業を素描し、エスノグラフィーの主流化に反対した。
  • Pratt, M. G., Kaplan, S., & Whittington, R. (2020). Editorial essay: The tumult over transparency: Decoupling transparency from replication in establishing trustworthy qualitative research. Administrative Science Quarterly. DOI ↗質的研究の信頼性を再現と切り離して論じ、エスノグラフィーを含む四つの立場の基準を表にまとめた。
  • Pratt, M. G. (2009). From the editors: For the lack of a boilerplate: Tips on writing up (and reviewing) qualitative research. Academy of Management Journal. DOI ↗質的研究の書き方の助言。エスノグラフィーの方法での収集と分析、長期のエスノグラフィーでのコーディング、フィールドでの立場に触れた。
  • Eisenhardt, K. M. (1989). Building theories from case study research. Academy of Management Review. DOI ↗自分の事例研究の手順を、Strauss や Van Maanen と比べて実証主義的だと位置づけた。
  • Gioia, D. A., Corley, K. G., & Hamilton, A. L. (2013). Seeking qualitative rigor in inductive research: Notes on the Gioia methodology. Organizational Research Methods. DOI ↗1次・2次の分析の用語法の着想源として Van Maanen (1979) を挙げた。
  • Gehman, J., Glaser, V. L., Eisenhardt, K. M., Gioia, D., Langley, A., & Corley, K. G. (2018). Finding theory–method fit: A comparison of three qualitative approaches to theory building. Journal of Management Inquiry. DOI ↗質的研究の論文が方法論の典拠として van Maanen (1979) などを引いている状況に触れた。
09

批判と境界条件

Van Maanen 自身が、エスノグラフィーの結果は何重にも媒介されていると認めている。第一に、何が観察に値するかについての研究者自身の基準、第二に、その場の人々に向けられる、歴史的に状況づけられた問い、第三に、インフォーマントに求められる自己省察、第四に、生み出されたデータが意図的・非意図的に人を誤らせるそのあり方である(Van Maanen, 1979, p. 549)。また、自分にとって目立たない警察組織の事柄の多くは、書いたものの中で過小に表されているに違いないとし、フィールドノートに入るのはおおむね自分の世界との違い(と予想外の似ている点)なので、同じ偏りがあらゆるエスノグラフィーにあると書く(p. 548)。

確かめられる深さにも限りがある。Van Maanen (1979, p. 545) は、人々に語らせることにともなう強制性(「象徴的暴力」)に触れ、フィールドのデータがどこまで信じられるかを確かめる程度には、研究者が一人ひとり引く限界がある、と認めている。1年半で問題の行動を4、5回しか見られなかったこと(p. 543)、長くいればすべてが明らかになるという感覚は幻想だという自己評価(p. 549)、当てはまりの正当化は最終的にレトリックの問題だという言明(Van Maanen, 2011, p. 232)も、方法の側が認めている限界である。

ほかの流派からの見方とも区別が要る。Eisenhardt (1989, p. 546) は、Van Maanen (1988) を、一般化できる理論の構築にはあまり関心がないように見える立場として位置づけた。この位置づけに Van Maanen が直接応えた文章は、このページで読んだ範囲には含まれていない。信頼性の基準についても注意が要る。Pratt et al. (2020) が紹介するエスノグラフィーの基準(Locke & Golden-Biddle, 1997)は、同じ論文の脚注が断るとおり、説得力についての議論であって信頼性についてのものではない(p. 11)。

最後に、このページの根拠の範囲を記しておく。Van Maanen (2011) は Tony Watson の論考への応答として書かれた論説であり、エスノグラフィーの方法を網羅的に整理したものではない(p. 218)。Watson の論考そのもの、Van Maanen の『Tales of the Field』(1988年)、Spradley (1979)、Locke & Golden-Biddle (1997)、Kellogg の研究は読んでおらず、いずれも読んだ論文を通して紹介している。また Van Maanen (1979) の議論は著者自身の警察のフィールドワークにもとづいており、ほかの種類の組織に同じように当てはまるかどうかは、この論文だけからは分からない。

研究上の位置づけ

分類Qualitative approach
地図の区画組織・意思決定
分析単位チーム · 組織
理論系譜社会学
REFERENCES

出典

本ページは学習用の要約です。正確な引用や議論には原典を確認してください。