デカップリングDecoupling
別名脱連結
一言で言うと組織が正統性を得るために取り入れた公式の方針や構造と、実際の仕事とのあいだに隔たりをつくり、それを保つこと。Meyer & Rowan (1977) は、この隔たりが、検査や評価を避け、関係者が互いの誠意を前提にふるまうことで保たれると論じた。Bromley & Powell (2012) は、方針が実行されない「方針と実践」の隔たりと、実行されていても目的とのつながりが不透明な「手段と目的」の隔たりを区別した。
中核的な問い
新しい方針を掲げ、専門部署を設け、研修を行っても、仕事の実態が変わらないことがある。Meyer & Rowan (1977) は、社会で合理的とされる手続きや方針を組織が取り入れるのは、それがすぐに役立つかどうかにかかわらず、取り入れることで正統性と存続の見込みが高まるからだと論じた。しかし、そうした制度化された規則に従うことは、効率の基準としばしば鋭く対立する。そこで組織は、公式の構造と実際の仕事のあいだに隔たりをつくり、技術的な活動の不確実さから公式の構造を守る。この隔たりはどう生まれ、なぜ長続きするのか。これがデカップリング研究の出発点である。
その後の研究は問いを広げてきた。どんな組織が、どんな条件のもとで方針を実行せずにおくのか(Westphal & Zajac, 2001)。いったん切り離された方針と実践は、いつ、どのようにして結びつくのか(Hallett, 2010; Tilcsik, 2010)。そして、方針がきちんと実行されているのに目的とのつながりがはっきりしない状態も、もう一つのデカップリングとして捉えるべきではないか(Bromley & Powell, 2012)。
主張とメカニズム
Meyer & Rowan (1977) によれば、制度化された規則への適合によって成り立つ組織は、二つの問題を抱える。技術的な活動や効率の要求が儀礼的な規則への適合と衝突すること、そして環境のさまざまな部分から来る規則どうしが食い違うことである。要求を拒む、外部との関係を断って規則を厳格に守る、構造が仕事に合っていないと公然と認める、将来の改革を約束する、という対処はどれも部分的な解決にとどまり、資源と安定の源を手放す、参加者が幻滅する、正統性を損なうといった代償をともなう。そこで組織がとるのが、互いに結びついた二つの仕掛け、デカップリングと「信頼と誠意の論理」である。デカップリングとは、活動を統制・調整しようとすると対立と正統性の喪失を招くため、構造の要素を活動から、また要素どうしを互いに切り離すことである(命題4)。活動は専門職に委ねられて管理者の目の届かないところで行われ、目標はあいまいにされ(「病院は患者を治すのではなく治療する」)、統合は避けられ、プログラムの実施はなおざりにされ、検査と評価は儀礼化される。その結果、同じ業界の組織は、公式の構造はよく似ているが実際の活動は多様になる。
では、統制も調整もされない組織が、なぜ無秩序にならないのか。Meyer & Rowan (1977) の答えは、内部の参加者と外部の関係者がもつ信頼と誠意である。人々は回避、慎重さ、見過ごしによって互いの面子を保ち、構造への信頼を維持する。誰もが善意で役割を果たしているという前提があるからこそ、切り離された構造のままでも日々の業務が回る。参加者は儀礼的な表向きの姿を支えるだけでなく、裏で物事がうまく運ぶよう非公式に調整することにも身を投じるので、儀礼が生む信頼は欺瞞ではないと著者らは述べる。一方、検査と評価は、誰もが有能に誠意をもってふるまっているという前提を破り、士気と信頼を下げる。そのため組織は、内部の管理者と外部の関係者の双方による検査と評価を最小化し、儀礼化する(命題6)。検査を避けるのは組織だけではなく、認証機関、理事会、行政機関なども、資格やあいまいな目標やカテゴリー上の評価を額面どおりに受け入れる。なお著者らは、こうした組織の社会的な有効性について立場をとらない。効率の基準から活動を守ることで非効率を生む面もあれば、参加者を誠意ある行動に結びつけることで長期的な有効性を高める面もありうるとしている。
Bromley & Powell (2012) は、研究の多くが方針と実践の隔たりだけを見てきたとして、デカップリングを二つに分けた。方針と実践のデカップリングは、規則が実行されない、または日常的に破られる場合である。手段と目的のデカップリングは、方針は実行されているが、方針と意図した成果とのつながりが不透明な場合である。前者が「象徴的な採用」なら、後者は「象徴的な実施」である。前者は、採用の動機が技術的な必要ではなく正統性であるとき、採用の初期、実行能力が弱いとき、内部の関係者が外部の圧力を後押ししないとき(方針が内部の利害や信念と合わない、法的な強制が弱い、内部の関係者の力が外部より強い、など)に起こりやすい。後者は、行為の効果が測りにくい場面、成果より手続きを重んじる法や基準に圧力が制度化されているとき、内部の関係者が外部の大義を推進するとき、合理化された環境が多くの利害関係者に分断されているときに広がり、組織に内部の複雑化、終わりのない改革、資源の転用をもたらす。透明性と説明責任が重視される現代では、方針と実践の隔たりは道徳的・運営上の失敗とみなされて減っていく一方、手段と目的の隔たりは増えていくと著者らは予測する。
どんな企業が方針を実行せずにおくのかを大規模なデータで検証したのが、Westphal & Zajac (2001) である。自社株買いプログラムは取締役会が承認する公式の方針だが、いつ買うかは定めていないため、採用だけしてほとんど買わないこともできる。米国の大・中規模企業412社を1985〜1991年について分析し、買い戻しの枠のうち実際に買い戻した割合で実施の程度を測った。その結果、CEOが取締役会に対して強い力をもつほど、プログラムは実行されにくかった。取締役の兼任でつながった他社が自社株買いを実行していない場合、その企業も実行しにくかった。つながった他社が経営者の長期インセンティブ計画を実行していない場合も、直接のつながりでは同じ効果があった。自社が過去に長期インセンティブ計画を実行しなかった経験も、自社株買いの不実行を予測した(過去の自社株買いの不実行の効果は弱かった)。これらの効果は、CEOの力が強いほど大きかった。著者らは、デカップリングは組織にとって有効だから起こるだけでなく、力をもつ経営者の政治的な利害にかなうから起こると結論し、さまざまな方針に繰り返し適用される意思決定のルーティンになりうるとした。
Tilcsik (2010) は、旧共産圏の国の政府機関で、デカップリングが生まれてから崩れるまでを追った。1990年代に入ると、国際機関や経済学者から、裁量的な予算配分をやめて数式で傘下組織への配分を決めるよう圧力がかかった。共産主義時代からの幹部層(著者のいう「オールドガード」)は、数式方式を公式に採用しなければ正統性を失うと考えたが、国の財産である傘下組織をすべて存続させるのが自分たちの責務だというイデオロギーから、実施には抵抗した。配分の権限を握っていた彼らは、1995年に数式方式を導入しつつ裁量的な配分を実際には残した。1990年代末から2000年代初めには、資金のほぼ40%が数式と無関係に配分されていた。著者はここから、イデオロギーは権力の裏づけがあるときにだけデカップリングを左右すると論じた。ところが、数式方式を形のうえで運用するには、統計や経済学の訓練を受けた若手(「改革派」)を雇う必要があった。数式方式を合理的と信じる彼らは、オールドガードの定年退職による昇進と、若手職員や新たに着任した幹部との同盟によって力を得て、2005年に数式方式を実際に運用させた。2008年の監査では、臨時に配分される資金は3%未満になっていた。著者はこれを、デカップリングがそれ自体の衰退の種を宿しうることを示すものとした。
Hallett (2010) は、かつて緩く結びついていた制度的な神話と組織の実践が固く結びつく過程を、Espeland (1998) にならって再結合(recoupling)と呼んだ。米国のある小学校での2年間の民族誌では、それまで教員は各自の流儀で授業をし、前任の校長たちもこの緩い結合を保って、説明責任の要求には抵抗するか儀礼的に応じるだけだった。説明責任の推進を期待されて着任した新校長は、予告なしの授業観察、成績簿の点検、指導案の提出といった監視によって方針と教室の実践を結びつけた。その結果、教員たちが「混乱(turmoil)」と呼ぶ事態が生じた。混乱は、慣れた意味や確かさや見通しが失われる認識上の苦痛と、それを受けて出来事を党派的に解釈し直し、対立の線を引くことの二つからなる。Hallett は、説明責任が再結合を促す理由として、数量的な指標による単純化、標準化による精査のしやすさ、人は見張られるべきだという強制的な論理、報酬と罰による遵守の強制の四つを挙げ、三つ目は Meyer & Rowan の「信頼と誠意」の前提と対照的だと述べる。
身近な例
ある会社が「水曜日は定時退社」を掲げ、採用説明会でもそれを紹介している。実際には、部長は退社記録さえ整っていれば中身を確かめず、社員は残った仕事を家で片づけ、そのことを互いに話題にしない。ここでは、誰もが確かめないことで方針と実践の隔たりが保たれている。
ところが、パソコンの稼働記録で勤務時間を管理する仕組みが入り、その記録が評価面談で使われるようになると、各自が工夫してきた仕事の回し方が通用しなくなり、職場はしばらくぎくしゃくする。別の部署では、上司と部下の月1回の面談が全員分きちんと記録されているのに、若手の離職は減っていない。こちらは、面談は実施されているが、それが離職を減らすという目的にどうつながるのかが見えていない状態である。
関連理論との違い
ルース・カップリングは、デカップリングに先立って組織研究に持ち込まれた考え方である。Bromley & Powell (2012) によれば、Weick (1976) は学校の各部門が結びつきながらもそれぞれの独自性を保つ様子を「緩い結合」と呼び、その原因を、公式の方針が組織行動の「理想の理論」にすぎず、実際の決定と行為は具体的な文脈と資源に左右されることに求めた。Meyer & Rowan (1977) はこれを、組織が環境の制度的な信念と同型になることの帰結として、制度の観点から説明し直した(Bromley & Powell, 2012)。
制度化された神話のページは、組織がなぜ社会的に当然とされる形式を取り入れるのかを扱う。このページは、取り入れた後の方針、実践、目的のつながりと、その変化を扱う。変化の呼び方について、Hallett (2010) は、緩い結合から固い結合への逆転を「再結合」、固い結合から緩い結合への逆転を「脱結合(uncoupling)」と呼び、緩い結合からデカップリングへといった単なる状態の変化と区別する。Tilcsik (2010) は、自身の事例では方針と実践がそれ以前に結びついていたことがないため、「再」を外して単に「結合(coupling)」と呼んでいる。
主要概念
- デカップリング(decoupling)
- Meyer & Rowan (1977) では、活動を統制・調整すると対立と正統性の喪失を招くため、構造の要素を活動から、また要素どうしを互いに切り離すこと。Tilcsik (2010) は、象徴的に採用された公式の方針と実際の組織の実践とのあいだに隔たりをつくり、保つことと要約している。
- 方針と実践のデカップリング(policy–practice decoupling)
- 規則が実行されない、または日常的に破られること。Bromley & Powell (2012) はこれを「象徴的な採用」とも言い表す。
- 手段と目的のデカップリング(means–ends decoupling)
- 方針は実行されているが、方針と意図した成果とのつながりが不透明なこと。Bromley & Powell (2012) はこれを「象徴的な実施」とも言い表す。
- 信頼と誠意の論理(logic of confidence and good faith)
- 技術的な裏づけがなくても組織が役に立つものとみなされるのは、内部の参加者と外部の関係者の信頼と誠意による、という Meyer & Rowan (1977) の考え。誰もが善意で役割を果たしているという前提が、切り離された構造のもとでも日常業務を成り立たせる。
- 儀礼的な検査と評価(ceremonial inspection and evaluation)
- 検査と評価は正統性を損なう逸脱を明るみに出しうるため、制度化された組織はそれらを最小化し、形だけのものにする。外部の関係者も検査を避け、資格や評価を額面どおりに受け入れる(Meyer & Rowan, 1977)。
- 再結合(recoupling)
- かつて緩く結びついていた制度的な神話と組織の実践が、固く結びつく過程(Hallett, 2010)。
- 混乱(turmoil)
- Hallett (2010) が再結合の帰結として示した現象。慣れた意味や確かさや見通しが失われる認識上の苦痛と、出来事を党派的に解釈し直して対立の線を引くことの二つからなる。
- 正統性(legitimacy)
- Meyer & Rowan (1977) の議論では、社会で正統とされる合理化された要素を公式の構造に取り入れた組織が得るもの。これによって組織は資源と存続の見込みを高める。
代表的な展開研究
- Westphal, J. D., & Zajac, E. J. (2001). Decoupling policy from practice: The case of stock repurchase programs. Administrative Science Quarterly. DOI ↗米国大企業412社の自社株買いプログラムを分析し、CEOが取締役会に対して強い力をもつほど、また取締役の兼任でつながった他社や自社の過去にデカップリングの経験があるほど、プログラムが実行されにくいことを示した。
- Hallett, T. (2010). The myth incarnate: Recoupling processes, turmoil, and inhabited institutions in an urban elementary school. American Sociological Review. DOI ↗小学校の民族誌から、説明責任の方針と教室の実践が固く結びつく再結合の過程と、それが教員にもたらした「混乱」を描いた。
- Tilcsik, A. (2010). From ritual to reality: Demography, ideology, and decoupling in a post-communist government agency. Academy of Management Journal. DOI ↗旧共産圏の政府機関の事例から、幹部層のイデオロギーと権力がデカップリングを生み、形式のために雇った若手の台頭がやがてデカップリングを崩した過程をモデル化した。
- Bromley, P., & Powell, W. W. (2012). From smoke and mirrors to walking the talk: Decoupling in the contemporary world. Academy of Management Annals. DOI ↗デカップリング研究をレビューし、方針と実践の隔たりと手段と目的の隔たりを区別して、それぞれが起こりやすい条件と帰結を整理した。
批判と境界条件
Bromley & Powell (2012) は、デカップリングを方針と実践の隔たりとしてだけ捉えると、制度の採用は見せかけで中身がないという批判を招くと述べる(pp. 485, 491)。これに対する従来の反論は、正統性が資源の獲得や技術的な中核の保護を通じて現実の効果をもつというものだが、採用した組織としない組織の資源や存続を直接比べた研究は限られている(pp. 491–492)。また、方針と実践のデカップリングは文献が想定するほど多くないという指摘や、一時的な現象にすぎないという見方もある(p. 496)。著者らはさらに、デカップリングの多くは意図されたものではなく経営者の戦略に還元できないこと(pp. 517–518)、技術的な故障や規則逸脱の常態化から生じるものもあり、すべてを制度の論理で説明すべきではないことを指摘する(pp. 515–516)。二つの型の増減についての自分たちの予測も、実証的な検証を要すると認めている(p. 517)。
Hallett (2010) によれば、Meyer & Rowan は固い結合にともなう監視が不確実性と対立を生むと考え、学校では緩い結合が続くと予想していたため、古典的な新制度派にとって再結合は直観に反する(p. 55)。Orton & Weick (1990) も、結合がふつうある一時点で、変わらないものとして研究されていると嘆いていた(Hallett, 2010, p. 54 による)。Hallett は、新制度派がマクロな普及の研究へ傾いたことで組織内部の仕事、相互作用、意味づけが見えなくなったと批判し(pp. 55–56)、儀礼的な表向きと実際の活動を切り分ける神話の捉え方は、象徴と実質の誤った二分法を固定してしまうとも述べる(p. 67)。自身の研究については、民族誌には一般化の限界があり、再結合と混乱がどの程度広がっているかは今後の課題だと認めている(pp. 57, 69)。
Tilcsik (2010) は、Meyer & Rowan の説明が組織をほぼブラックボックスとして扱い、内部の条件がデカップリングの起こりやすさにどう影響するかにほとんど注意を払っていないと批判する(p. 1489)。デカップリングを行うのは一枚岩の「組織」ではなく、力をもつ特定の人々であり、同じ制度的要請に対する組織の対応も、内部の条件の変化とともに変わりうる(pp. 1489, 1493)。また、Westphal & Zajac (2001) の利害にもとづく説明を受け継ぎつつ、経済的な利害や権力追求だけでは、なぜ特定の領域の支配にこだわるのかを説明できないとして、イデオロギーを加えた(pp. 1488–1489)。ただし著者自身、研究は単一の組織にもとづいており、西側の民間企業を含む他の組織への一般化は検証されていないと認めている(p. 1495)。
Westphal & Zajac (2001) は、それまでのデカップリング研究が主に質的な事例研究で、どこでデカップリングが起こりやすいかを予測・説明していなかったと指摘する(p. 202)。そして、デカップリングを、外部の正統性を保ちながら内部の慣行を守る緩衝の仕組みとみてきた制度派の見方に対して、それが力をもつ経営者の政治的な利害にかなうから起こる面を示した(p. 221)。
研究上の位置づけ
出典
- 原典Meyer, J. W., & Rowan, B. (1977). Institutionalized organizations: Formal structure as myth and ceremony. American Journal of Sociology. DOI ↗
- Meyer, J. W., & Rowan, B. (1977). Institutionalized organizations: Formal structure as myth and ceremony. American Journal of Sociology. ↗
- Westphal, J. D., & Zajac, E. J. (2001). Decoupling policy from practice: The case of stock repurchase programs. Administrative Science Quarterly. ↗
- Hallett, T. (2010). The myth incarnate: Recoupling processes, turmoil, and inhabited institutions in an urban elementary school. American Sociological Review. ↗
- Tilcsik, A. (2010). From ritual to reality: Demography, ideology, and decoupling in a post-communist government agency. Academy of Management Journal. ↗
- Bromley, P., & Powell, W. W. (2012). From smoke and mirrors to walking the talk: Decoupling in the contemporary world. Academy of Management Annals. ↗
- Weick, K. E. (1976). Educational organizations as loosely coupled systems. Administrative Science Quarterly. ↗
- Orton, J. D., & Weick, K. E. (1990). Loosely coupled systems: A reconceptualization. Academy of Management Review. ↗
- Espeland, W. N. (1998). The struggle for water. University of Chicago Press.
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