人的資本理論Human Capital Theory
一言で言うと教育、職業訓練、健康などへの支出を、人に体化された資源を増やして将来の所得を高める「投資」としてとらえ、個人や企業がどれだけ投資するかを費用と収益の比較で説明する理論。
中核的な問い
大学に通えば、授業料がかかるだけでなく、その間に働いていれば得られたはずの所得も失う。それでも多くの人は進学し、企業は社員に研修を行う。人の知識や技能を、機械や工場と同じような「資本」として考えると、こうした行動はどう説明できるのか。
主張とメカニズム
Becker (1964) は、人的資本への投資を「人の中にある資源を増やすことで、将来の金銭的・心理的な所得に影響を与える活動」と定義した。学校教育、職場での訓練、医療、情報の収集などがこれにあたる。人々は、投資の費用(授業料や、学んでいる間にあきらめた所得など)と、将来得られる収益とを比べて、どれだけ投資するかを決める。この枠組みにより、学歴や年齢によって所得が違うことや、若いうちに投資が集中することが説明される。この議論の骨格は、Becker (1962) の論文ですでに示されていた。
経営学にとって特に重要なのは、職場での訓練を二つに分けた議論である。一般訓練は、訓練を行った企業だけでなく、他の多くの企業でも生産性を高める。そのため、訓練後に労働者は他社に移ることもでき、企業は費用を回収できない。したがって一般訓練の費用は、訓練期間中の低い賃金という形で、労働者自身が負担すると考えられる。一方、企業特殊訓練は、訓練を行った企業でしか生産性を高めない。この場合、費用と収益は企業と労働者の間で分け合われ、双方に関係を続ける理由が生まれるため、離職が起こりにくくなる。
身近な例
たとえば、ある会社が社員に二つの研修を用意したとしよう。一つは、どの会社でも使える表計算ソフトの研修で、もう一つは、その会社独自の社内システムの操作研修である。人的資本理論に従えば、前者を身につけた社員は他社でも評価されるため、会社は費用を出したがらず、社員が自己負担で学ぶことが多くなる。後者はその会社でしか役に立たないため、会社が費用を負担しやすく、身につけた社員は会社にとどまる理由も強くなる。
主要概念
- 人的資本(human capital)
- 教育や訓練などを通じて人に体化された知識や技能であり、将来の所得や生産性を高めるもの。
- 一般訓練(general training)
- 訓練を行った企業だけでなく、他の多くの企業でも生産性を高める訓練。
- 企業特殊訓練(specific training)
- 訓練を行った企業でしか生産性を高めない訓練。
- 機会費用(opportunity cost)
- ある選択をしたためにあきらめた、別の選択から得られたはずの利益。学んでいる間に得られなかった所得など。
代表的な展開研究
- Hatch, N. W., & Dyer, J. H. (2004). Human capital and learning as a source of sustainable competitive advantage. Strategic Management Journal. DOI ↗企業特殊的な人的資本とその学習が、他社に模倣されにくい競争優位の源泉になることを、半導体製造のデータで検討した。
- Crook, T. R., Todd, S. Y., Combs, J. G., Woehr, D. J., & Ketchen, D. J., Jr. (2011). Does human capital matter? A meta-analysis of the relationship between human capital and firm performance. Journal of Applied Psychology. DOI ↗人的資本と企業業績の関係をメタ分析で検討し、両者が結びついていること、企業特殊的な人的資本でその関係がより強いことを示した。
批判と境界条件
Spence (1973) は、教育が生産性を高めるのではなく、もともと能力の高い人が自分の能力を雇い主に伝える「シグナル」として働いている可能性を示した。この見方では、学歴と所得の関係は、人的資本への投資の効果とは限らない。原典自身も、教育を多く受ける人はもともと能力が高いかもしれず、学歴による所得の差をすべて教育の効果とみなすことはできないという問題を論じている。
研究上の位置づけ
出典
- 原典Becker, G. S. (1964). Human capital: A theoretical and empirical analysis, with special reference to education. National Bureau of Economic Research / Columbia University Press.
- Becker (1962). Investment in human capital: A theoretical analysis. Journal of Political Economy. ↗
- Spence (1973). Job market signaling. The Quarterly Journal of Economics. ↗
本ページは学習用の要約です。正確な引用や議論には原典を確認してください。