感情労働Emotional Labor
原典と照合済み本文の根拠にした文献は出典に記載(照合の手順)
一言で言うと接客などの仕事では、働き手は賃金と引き換えに自分の感情を管理し、組織が求める表情や態度を示している。この感情の管理は、本来は私的なものだった感情を商品にし、働き手を自分の感情から遠ざけることがある、という視点。
目次
この理論で考えられる身近な疑問
中核的な問い
客に笑顔を向け、怒っている相手にも穏やかに接する仕事では、どんな感情を表すかも仕事の一部として求められている。では、そこで売られているものは何か。感情が会社の管理の対象になるとき、それは働く人にどんな影響を与えるのか。
主張とメカニズム
Grandey (2000) によれば、Hochschild (1983) は、感情労働を「公に観察できる表情や身ぶりの表示をつくり出すために、感情を管理すること」と定義した。賃金と引き換えに感情を管理することが、感情労働と呼ばれたのである。Grandey (2000) は、Hochschild (1979) の「深い交換の身ぶりが市場の領域に入り、労働力の一部として売り買いされるとき、感情は商品になる」という言葉も引いている。働き手は、組織が定める表示規則、すなわち、どんな感情を表すべきかについての期待に応じて感情を管理する。
Grandey (2000) によれば、Hochschild は、感情を管理する主な方法を二つ示した。表層演技は、感情の表出を調整することである。深層演技は、望ましい感情を表すために、感情そのものを意識的に変えることである。Hülsheger & Schewe (2011) の整理では、表層演技をする人は、実際の感情はそのままに仮面をかぶり、感情を抑えたり、大きく見せたり、偽ったりして表出を整える。深層演技をする人は、心地よいことに注意を向けたり、状況の捉え方を変えたりして、求められる感情を実際に呼び起こそうとする。Grandey (2000) によれば、Hochschild は、乗客の子どもっぽい振る舞いに腹を立てないよう、乗客を子どもとみなして捉え直す訓練を受けた客室乗務員を描いた。求められる感情は仕事によって違い、Hülsheger & Schewe (2011) は、取り立て係は怒りを、医師は思いやりを示すことを例に挙げている。
Grandey (2000) は、この二つを心理学の感情調整の理論に結びつけた。感情調整とは、人がどの感情をいつ抱き、それをどう経験し表すかに影響を与える過程である。感情が生じる前に、状況やその捉え方を調整する「先行焦点型」の調整と、生理的な反応や外に見える感情の表れを調整する「反応焦点型」の調整がある。Grandey は、前者が深層演技に、後者が表層演技にあたるとした。
Grandey (2000) によれば、Hochschild の主な主張の一つは、この感情の管理には努力が要るということである。組織が感情のように個人的なものを管理する商品化は、働き手にとって不快なものとされた。この不快さと、難しい客に対応しながら笑顔を保つ努力のために、Hochschild は、感情労働が燃え尽きや職務ストレスに結びつくと考えた。自分の感情から疎遠になる「感情的な疎外」も、Hochschild らが挙げた結果の一つである。また Grandey (2000) によれば、Hochschild は、感情労働を多く求める仕事の特徴として、客と対面や声で接すること、組織が働き手の感情表現を求め、管理することを挙げた。
身近な例
たとえば、コールセンターで働く人が、理不尽な苦情を受けたとしよう。内心では腹を立てながらも、声だけは明るく丁寧に保つのが表層演技である。一方、「この人は困り果てていて、誰かに話を聞いてほしいのだ」と考え、実際に同情の気持ちを抱いて応対するのが深層演技である。どちらも、会社が求める応対の仕方という表示規則に合わせた感情の管理であり、その対価として賃金が支払われている。
主要概念
- 感情労働(emotional labor)
- 賃金と引き換えに、組織が求める表情や態度を示すために自分の感情を管理すること。
- 表示規則(display rules)
- 組織や職務が、働き手にどんな感情を表すことを期待しているかについての決まり。
- 表層演技(surface acting)
- 内心の感情は変えずに、表情や声などの外見だけを求められる形に整えること。
- 深層演技(deep acting)
- 想像や考え方の工夫によって、求められる感情そのものを自分の内に呼び起こすこと。
代表的な展開研究
- Ashforth, B. E., & Humphrey, R. H. (1993). Emotional labor in service roles: The influence of identity. Academy of Management Review. DOI ↗感情労働を、内面の感情ではなく観察できる表示の行動として捉え直した。働き手が役割に自分を重ねているかどうかで、その影響が変わると論じた。
- Grandey, A. A. (2000). Emotion regulation in the workplace: A new way to conceptualize emotional labor. Journal of Occupational Health Psychology. DOI ↗心理学の感情調整の考え方を用いて、表層演技と深層演技を整理し直し、感情労働がストレスや成果につながる道筋をモデル化した。
批判と境界条件
Ashforth & Humphrey (1993, p. 90) は、感情労働を、場にふさわしい感情を表示する行為と定義した。内面の感情よりも、客が直接目にし、影響を受ける観察できる行動に注目したのである (p. 90)。彼らは、期待される感情を自然に感じて表すことも、感情労働の三つ目の形に含めた (p. 94)。繰り返しの多い決まった仕事では、表層演技や深層演技も習慣となり、比較的努力の要らないものになりうるという (p. 94)。また、表出が相手に本物と受け取られるなら、表示規則に従うことは課業の成果と正に関連すると考えた (p. 95)。一方で彼らは、感情労働が本当の自分という感覚を損なうなど、働き手を害しうることも認めたうえで、その影響は役割への同一化によって変わると論じた (p. 89)。役割を自分の中心的で大切な一部とみなす人ほど、表示規則に従うときに本当の自分らしさを感じやすく (p. 98)、同一化が強いほど、幸福への悪影響は弱く、好影響は強いという (p. 89)。
Grandey (2000, p. 96) は、先行研究には感情労働の定義の食い違いがあり、後の研究を難しくしていると指摘した。Hochschild (1983) は一般的な感情の理論を論じたが、それを自ら提案した関係には明示的に当てはめていないという (p. 98)。Grandey 自身は、深層演技は表層演技よりサービスの成果と正に関連するが、どちらも燃え尽きや離脱、否定的な職務態度と関連すると予想した (p. 108)。ただし Grandey は、根拠にした実験室の感情調整研究が、ある感情を抑えながら別の感情を表す場面を扱っていないと断っている (p. 101)。賃金のための調整が、実験室での調整とは違う影響をもつ可能性もあるという (p. 101)。
Hülsheger & Schewe (2011, p. 361) は、95本の研究をメタ分析し、表層演技と感情・規則の不協和が、健康や幸福の損ないとかなり強く関連することを示した。感情・規則の不協和とは、実際に感じている感情と表示規則が求める感情とが一致しないことである (p. 363)。一方、深層演技は健康や幸福の損ないとは弱くしか関連せず、感情表出の成果や顧客満足と正に関連した (p. 361)。著者らは、感情労働は必ずしも働き手を害するわけではなく、燃え尽きなどの危険はどの調整方法をとるかによると結論した (p. 383)。
ただし著者ら自身、元の研究の多くは横断的で、因果の推論はできないと認めている (p. 382)。健康や幸福、成果の側が感情労働に影響する逆向きの効果もありうる (p. 382)。肯定的・否定的な感情を抱きやすい性格が第三の変数となり、表層演技と健康や幸福との見かけの相関を生んでいる可能性も指摘されてきた (p. 377)。性格を統制しても関連が残った研究はいくつかあるが、第三の変数の体系的な検討は今後の課題とされた (p. 379)。また、深層演技は多くの研究で個々の調整方法を区別しない全体的な尺度で測られており、そのことが深層演技と健康や幸福との関連が見いだされない一因かもしれないという (p. 383)。
研究上の位置づけ
出典
- 原典Hochschild, A. R. (1983). The managed heart: Commercialization of human feeling. University of California Press.
- Hülsheger, U. R., & Schewe, A. F. (2011). On the costs and benefits of emotional labor: A meta-analysis of three decades of research. Journal of Occupational Health Psychology. ↗
- Hochschild, A. R. (1979). Emotion work, feeling rules, and social structure. American Journal of Sociology. ↗
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