分析のレベル(生態学的誤謬)Levels of Analysis
同じ二つの変数でも、個人ごとに見るか、地域や組織の平均で見るかで、関係の強さも向きも変わることがある。集団のデータから個人を語る誤りと、個人のデータだけで集団の影響を見落とす誤りの両方がある。理論が何についての主張か、データをどの単位で集め、分析したかを合わせる必要がある。
同じデータでも、単位を変えると答えが変わる
Robinson (1950) は、1930年のアメリカの国勢調査を使って、同じ二つの変数の相関が、個人ごとに計算するか地域ごとに計算するかで大きく変わることを示した。個人を単位にした相関(個人相関)に対して、地域のような人の集まりを単位にした相関を生態学的相関と呼ぶ(p. 351)。
黒人であることと読み書きができないことの相関は、個人単位では .203 だったが、全米を9つに分けた地域単位では .946 だった(p. 354)。州単位で計算すると .773 で、単位を粗くするほど大きくなった(p. 353)。
符号まで逆になる例もある。外国生まれであることと読み書きができないことの相関は、個人単位では正(.118)で、外国生まれの人の教育の水準が低かったという当時の知識と合っていた(p. 354)。ところが地域単位の相関は −.619、州単位では −.526 と、負になった(p. 354)。外国生まれの人が多い州ほど、読み書きができない人の割合が低かったのである。
Robinson によれば、生態学的相関が使われるのは、個人の相関が手に入らないからで、しかもその代用は、はっきり断らずに暗黙のうちに行われていた(p. 352)。結論は、生態学的相関は個人相関の代わりには使えない、というものだった(p. 357)。ただし、二つが一致することも理論上はありうるが、その条件はふつうのデータからかけ離れている、という限定つきである(p. 357)。集団のデータから個人について結論を出すこの誤りは、のちに生態学的誤謬と呼ばれるようになった(Firebaugh, 1978, p. 557)。
集団のデータから個人を語れるのはいつか
それでも、個人のデータが手に入らないために、集団のデータから個人について推論する研究は続いてきた(Firebaugh, 1978, p. 557)。Firebaugh (1978) は、その推論が偏らない条件を一つの規則にまとめた。個人の X を統制したうえで、集団の X の平均が Y に影響しないときに限って、偏りはない(p. 557)。言いかえれば、その人自身の特徴とは別に、どんな集団にいるかが結果に効いているなら、集団のデータから個人の関係は分からない。
Robinson のデータでは、この条件は満たされていなかった。地域ごとにまとめた集計の関係は .26 で、個人単位の関係(.132)を大きく上回った(Firebaugh, 1978, p. 568)。さらに、地域と、地域と人種の組み合わせの効果を統制すると、人種そのものの個人の効果は .02 まで小さくなった(pp. 568–569)。南部で黒人であることの効果が大きかったのである(p. 568)。
Firebaugh は、Robinson の発見そのものを否定したのではなく、全面的な禁止を条件つきの規則に置きかえた。ただし、集団のデータしか持たない研究者は、多くの場合、データがこの規則に合っているかを実際に確かめられない(p. 570)。集団の効果が無視できるほど小さいなら、生態学的誤謬はそれ自体が「ほとんど誤謬」になり、無視できないなら、偏りのない推定は個人と集団の両方を扱うマルチレベル分析からしか得られない(p. 570)。
逆向きの誤り:個人だけを見る
Subramanian et al. (2009) は、Robinson と同じ1930年の国勢調査を、個人と州の両方を扱うマルチレベルのモデルで分析し直した(p. 342)。州ごとの非識字率の大きな違いは、州の人種や出身の構成では説明できず、州の効果を考えに入れると、個人単位の人種・出身との関連はかなり弱まった(p. 342)。黒人の教育を差別した州法(ジム・クロウ法)の効果は強く、とくに黒人で最も強かった(p. 342)。州によって、個人単位の相関そのものも、ほぼゼロ(ネバダ、コネチカット)から .31(アラバマ)まで違っていた(p. 354)。
著者らは、生態学的相関が個人相関の代わりにならないという Robinson の発見そのものは問題にしていない(p. 344)。批判したのは、個人のデータにもとづく関係だけが「意味がある」とした結論である(p. 349)。集団の話を個人に当てはめる誤り(生態学的誤謬)だけでなく、個人の行動から集団の関係を一般化する誤り(個人主義的誤謬)の危険もある、というのが著者らの主張である(pp. 342–343)。
理論・測定・分析のレベルを合わせる
Klein et al. (1994) は、組織研究でレベルの問題を扱う文献の大多数が、集約をどう正当化するか、どう分析するかといった統計の問題に焦点を当ててきたとし、理論づくり、データの収集、分析の順に整理し直した(pp. 196–197)。そのうえで、レベルを三つに分けている(p. 198)。理論のレベルは、説明しようとする対象(個人、集団、組織)である。測定のレベルは、データが実際にどこから来たかで、自己報告のデータはふつう個人のレベルになる。統計分析のレベルは、分析でデータをどう扱うかである(p. 198)。三つが食い違うと問題が起き、結果を理論のレベルに当てはめて誤った結論を出すことを「レベルを取り違える誤謬」と呼ぶ(pp. 198–199)。
Klein et al. によれば、理論のレベルを決めることは、構成概念について集団のメンバーがどうなっているかを予測することでもある(p. 199)。第一は同質で、集団のメンバーが十分似ていて、集団を一つの値で表せる(p. 199)。第二は独立で、個人の値は同じ集団のほかのメンバーの値と関係しない(pp. 199–200)。第三は異質で、集団の平均と比べた個人の位置が問題になる。「大きな池の小さな蛙」になぞらえて、蛙と池の効果とも呼ばれる(p. 201)。
たとえば、参加と業績の関係も、三通りに理論化できる(Klein et al., 1994, p. 203)。集団として参加の多いチームは業績も高い、と考えれば同質である。個人として参加する人ほど業績が高い、と考えれば独立である。仲間と比べて業績の良い人ほど、集団の意思決定に参加する自信をもつ、と考えれば異質である(p. 203)。
異質の例として Klein et al. (1994, p. 202) が挙げるのが、リーダーが部下を、相対的な業績などにもとづいて内集団と外集団に分けるという垂直的二者連結の理論である。このサイトのリーダー・メンバー交換理論の項目で、その出発点として紹介している研究である。
質問の言い回しも、レベルを前提にしている(Klein et al., 1994, p. 210)。「あなたの集団のメンバーは X をどう感じていますか」は集団の同質を、「あなた自身は X にどれくらい満足していますか」は集団から独立した個人を、「集団のほかのメンバーと比べて、あなたの X はどれくらいですか」は集団の中の異質を問うている(p. 210)。
データを分析するレベルを理論のレベルに合わせるだけでは、誤謬は防げない(Klein et al., 1994, p. 216)。データが理論の予測する同質・独立・異質に実際に合っているかを確かめる必要がある(p. 217)。
個人の回答を集めて、集団の性質にするとき
組織の研究では、個人に尋ねた回答を平均して、チームや組織の性質として扱うことが多い。Chan (1998, p. 235) は、下のレベルのデータから上のレベルの構成概念をつくる考え方(合成モデル)を、加算、直接合意、参照先の移動を伴う合意、分散、過程の五つに整理した。どれを採るかで、集約を正当化するのに必要な証拠が違う。
加算モデルでは、メンバーの回答のばらつきは問題にならず、ふつうは単純な合計や平均を使う(p. 236)。直接合意モデルでは、集団の中で回答が一致していることを示して、平均を集団の値として使うことを正当化する(p. 237)。参照先の移動を伴う合意モデルでは、尋ねる対象を自分から集団に変える。たとえば、チームの効力感をとらえるのに、メンバー一人ひとりの自己効力感を平均するのは多くの場合誤りで、その平均はメンバーが自分自身をどう見ているかを表すにすぎない(p. 239)。分散モデルでは、回答のばらつきそのものを集団の性質とみなす(p. 240)。一致が低いことと、意見が割れていることは違い、後者は、内部では意見の一致した下位集団があることを意味する(p. 240)。過程モデルでは、個人のレベルの過程のパラメータとそのつながりが、上のレベルでも対応物をもつことを確かめる必要がある(p. 241)。
このサイトで紹介している心理的安全性も、チームのメンバーが共有する信念として定義された、チームのレベルの構成概念である。こうした概念の研究を読むときは、個人の回答をどの考え方でチームの値にしたのかが、結果の意味を左右する。
論文を読むときの目安
第一に、理論が何についての主張か(個人か、チームか、組織か)と、データを誰から取り、どの単位で分析したかを分けて確かめる(Klein et al., 1994, p. 198)。第二に、国や地域や組織の平均どうしの関係から、個人について結論を出していないかを見る(Robinson, 1950)。逆に、個人のデータだけを使って、どんな集団にいるかの影響を見落としていないかも見る(Subramanian et al., 2009)。第三に、個人の回答を平均してチームや組織の値にしているなら、どの合成モデルにもとづくのか、それに見合う証拠(一致の程度など)を示しているかを見る(Chan, 1998)。第四に、質問文が、集団について尋ねているのか、本人について尋ねているのかを見る(Klein et al., 1994, p. 210)。
このサイトの身近な疑問のページは、ひとりの悩みに理論を当てはめる。組織やチームの単位で確かめられた関係を、個人の悩みにそのまま当てはめてよいとは限らない、ということも頭に置いて読んでほしい。
主な文献
- Robinson, W. S. (1950). Ecological correlations and the behavior of individuals. American Sociological Review. DOI ↗地域単位の相関と個人単位の相関が大きく食い違い、符号まで逆になりうることを示した。
- Firebaugh, G. (1978). A rule for inferring individual-level relationships from aggregate data. American Sociological Review. DOI ↗集団のデータから個人の関係を偏りなく推定できる条件を、一つの規則にまとめた。
- Subramanian, S. V., Jones, K., Kaddour, A., & Krieger, N. (2009). Revisiting Robinson: The perils of individualistic and ecologic fallacy. International Journal of Epidemiology. DOI ↗Robinson のデータを分析し直し、個人だけを見る誤りの危険も示した。
- Klein, K. J., Dansereau, F., & Hall, R. J. (1994). Levels issues in theory development, data collection, and analysis. Academy of Management Review. DOI ↗理論・測定・分析のレベルと、同質・独立・異質という三つの前提を整理した。
- Chan, D. (1998). Functional relations among constructs in the same content domain at different levels of analysis: A typology of composition models. Journal of Applied Psychology. DOI ↗個人の回答から集団の構成概念をつくる五つの合成モデルを整理した。
批判と境界条件
この項目の根拠にも限界がある。Robinson (1950)、Firebaugh (1978)、Subramanian et al. (2009) の数値は、いずれも1930年のアメリカの国勢調査の、人種・出身と非識字についてのもので、経営学のデータではない。Subramanian et al. (2009, p. 348) 自身も、社会経済的な地位のような重要な要因がデータになく、Robinson の分析と同じく変数の欠落による偏りがありうると認めている。同じ号にはこの論文への論評と著者らの応答が載っているが、この項目では読んでいない。Klein et al. (1994, p. 217) は、データが理論のレベルに合っているかを確かめる統計的な指標の長所と短所は、今後の課題として残している。Chan (1998) は、自分の類型が網羅的ではないとし(p. 245)、集団のデータを個人に分けて使う問題や生態学的誤謬は扱っていないと断っている(p. 235)。
研究上の位置づけ
出典
- Robinson (1950), American Sociological Review ↗
- Firebaugh (1978), American Sociological Review ↗
- Subramanian et al. (2009), International Journal of Epidemiology ↗
- Klein et al. (1994), Academy of Management Review ↗
- Chan (1998), Journal of Applied Psychology ↗
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