理論・視点

欲求階層説Hierarchy of Needs

原典と照合済み本文の根拠にした文献は出典に記載(照合の手順)

一言で言うと

人間の基本的な欲求は、生理的欲求から自己実現の欲求まで「優先度の階層」をなしており、より優先度の高い欲求がある程度満たされると、次の欲求が行動を動かすようになる、とする理論。

目次
説明したい問い人は何を求めて行動し、その求めるものはどのように移り変わるのか。

この理論で考えられる身近な疑問

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中核的な問い

人はお腹がすけば食べ物を求め、危険を感じれば安全を求める。しかし、衣食住が足りた人も、仲間や評価や自分らしい生き方を求めて行動し続ける。人間の欲求にはどんな種類があり、それらは互いにどう関係しているのか。

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主張とメカニズム

Maslow (1943) の中心的な主張は、人間の欲求が優先度(どれが先に強く働くか)の階層をなして並んでいる、というものである。ある欲求が現れるかどうかは、通常、より優先度の高い別の欲求が先に満たされているかどうかにかかっている。そして、ある欲求が相対的に満たされると、その欲求は背後に退き、階層の次に高い欲求が現れて人を動かすようになる、とした。Wahba & Bridwell (1976) は、この考えを、欲求が欠乏するほどその欲求が支配的になるという「欠乏/支配」の命題と、欲求が満たされると次の欲求が活性化されるという「充足/活性化」の命題に分けて整理している。

Maslow (1943) は、基本的欲求として、生理的欲求、安全の欲求、愛の欲求(愛情と所属を求める欲求)、承認の欲求(自尊心や他者からの評価を求める欲求)、自己実現の欲求の少なくとも五つを挙げた。自己実現の欲求とは、自分が潜在的にもっている可能性を実現しようとする傾向を指す。Maslow (1943) はこのほか、知りたい・理解したいという欲求も認め、これらも小さな階層(知りたい欲求が理解したい欲求より優先する)をなすと述べた。Wahba & Bridwell (1976) の注によれば、Maslow (1970) はさらに美的欲求にも触れている。

ただし Maslow (1943) 自身、この階層は見かけほど固定した順序ではないとして、いくつもの例外を挙げていた。たとえば、愛より自尊心のほうが大切に見える人(Maslow によれば、その多くは愛を得る手段として自尊心を求めている)、生まれつき創造的で、基本的欲求が満たされていなくても創造性を発揮する人、とても低い水準の生活を長く経験したために上位の目標を失い、食べ物さえ十分にあれば満足し続ける人、理想や価値のためにすべてを投げ出す「殉教者」などである。Wahba & Bridwell (1976) によれば、長く満たされない欲求には固着が生じうることや、上位の欲求が、下位の欲求の充足の後ではなく、長い欠乏や断念、抑圧の後に現れることもある。また Maslow (1943) は、ある欲求が完全に満たされなくても、満たされる度合いが増すにつれて次の欲求が少しずつ現れてくるとし、多くの人は基本的欲求のすべてを部分的に満たし、同時に部分的に満たしていないと述べた。Maslow は、行動は多くの要因と動機によって決まることを繰り返し強調した。Wahba & Bridwell (1976) によれば、後の著作 (Maslow, 1965) では、自己実現の欲求は満たされるとかえって重要さが増す、と考えを改めてもいる。また、よく知られた「5段階のピラミッド図」は原典には描かれていない。1943年の論文にも、よく引かれる著書『動機づけと人格』(Motivation and Personality)にもピラミッドは出てこず、Maslow の文書庫まで調べても、Maslow が自分の考えをピラミッドの形で示した跡は見つからなかったという。確認できた最も早い三角形の図は、経営学者 Davis (1957) の教科書にある階段状の図で、ピラミッドの形はコンサルティング心理学者 McDermid (1960) の論文に初めて現れたとみられる。ピラミッド図はその後、1970〜80年代の経営学の教科書を通じて広まった。

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身近な例

たとえば、アルバイトを掛け持ちして生活費をやっと工面している学生を考えよう。この学生にとっては、まず収入と生活の安定が差し迫った関心事になる。生活に余裕が出てくると、サークルの仲間とのつながりや、周囲から認められることが気になりはじめる。さらに進むと、自分が本当に打ち込みたいことは何かを考えるようになる。ただし Maslow の考え方に従えば、これは段を一つずつ完全に上るというより、欲求が相対的に満たされるにつれて関心の重心が移っていく、と理解するほうが近い。

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主要概念

優先度の階層(hierarchy of prepotency)
複数の欲求がともに満たされていないとき、どれがより強く求められるかの順序。Maslow (1943) は、これは実際の行動の順序ではなく、欲求や望みの順序だとしている。
基本的欲求(basic needs)
生理的欲求、安全、愛(愛情と所属)、承認、自己実現という、Maslow (1943) が挙げる少なくとも五つの欲求のまとまり。
自己実現(self-actualization)
自分が潜在的にもっている可能性を実現しようとする傾向。
承認の欲求(esteem needs)
自分を価値ある存在だと感じたい、他者から認められたいという欲求。
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代表的な展開研究

  • Wahba, M. A., & Bridwell, L. G. (1976). Maslow reconsidered: A review of research on the need hierarchy theory. Organizational Behavior and Human Performance. DOI ↗因子分析研究10件、順位づけ研究3件と、横断研究・縦断研究を検討した。欲求の階層という考えは部分的にしか支持されず、欠乏が欲求を強めるという命題は自己実現を除いて明確な証拠がなく、縦断研究では、満たされた欲求が次の欲求を強めるという命題は支持されなかった。
  • Bridgman, T., Cummings, S., & Ballard, J. (2019). Who built Maslow's pyramid? A history of the creation of management studies' most famous symbol and its implications for management education. Academy of Management Learning & Education. DOI ↗欲求のピラミッド図がマズロー自身ではなく、後に経営学の分野で作られ広まった経緯をたどった。
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批判と境界条件

Wahba & Bridwell (1976, p. 214) によれば、Maslow 自身も、この理論には多くの例外があることを認めていた。たとえば、長く満たされない欲求には固着が生じうることや、上位の欲求が、下位の欲求の充足の後ではなく、長い欠乏や抑圧の後に現れうることである (p. 214)。また、Maslow は構成概念の標準的な定義も、実証的な検証の手引きも示さず、理論の擁護は十分な研究結果ではなく、論理と臨床的な洞察によるものだった (p. 234)。Wahba & Bridwell (1976, p. 234) は、この理論を「ほとんど検証できない理論」と呼んでいる。

Wahba & Bridwell (1976, p. 220) が検討した因子分析の研究では、五つの欲求すべてを独立した因子として示したものは一つもなかった。順位づけの研究も合わせると、欲求が五つに分かれることや、それらが特別な階層をなすことの明確な証拠はなく、欲求が二つの型に分かれる可能性を示す証拠がいくらかある程度だった (p. 224)。欲求が欠乏するほどその欲求が支配的になるという命題には、自己実現を除いて強い証拠がなかった (p. 233)。欲求が満たされると次に高い欲求が現れるという命題は、縦断データでは支持されず、横断研究による限られた支持も、測定と統制の問題が多いため疑わしいとされた (p. 233)。

ただし Wahba & Bridwell (1976, p. 235) は、検討した研究の多くにも、理論の解釈と操作化、検証の方法、測定という三つの弱点があったと述べる。理論は個人を分析の単位とし、動的で因果的な理論なのに、多くの研究は集団を単位とし、静的な相関の分析にとどまっていた (p. 235)。また、Miner & Dachler (1973) が指摘したように、この理論はアイデアを生み、多様な研究結果を説明する枠組みとして役立ってきたので、合意によるか、より良い理論に置き換えられることでしか捨てられないとも述べている (p. 235)。そのうえで著者らは、生存に必要な生理的欲求と安全の欲求を「維持欲求」、所属・承認・自己実現を「成長欲求」とする二段階の階層を、代わりの案として示した (pp. 235–236)。

Bridgman et al. (2019, p. 88) も、1960〜70年代に増えた実証研究が理論の一部を確かめられなかったことを認めている。ただし、教科書によく見られる批判には、Maslow ではなくMcGregor が広めた見方に向けられたものがあるという (p. 85)。人は一度に一つの欲求だけを満たそうとし、欲求は完全に満たされてから次に進み、満たされた欲求はもう行動を動かさない、という見方である (p. 85)。Bridgman et al. (2019, p. 85) によれば、Maslow (1943) 自身は、多くの人は基本的欲求のすべてを部分的に満たし、同時に部分的に満たしていないと述べ、すべての社会の人が同じ順序で欲求を追うとも考えていなかった。著者らは、段を横線で区切るピラミッド図が、複数の欲求を同時に満たそうとする姿を思い描きにくくしていると指摘する (p. 91)。

研究上の位置づけ

原典Maslow, A. H. (1943)
A theory of human motivation
分類理論
地図の区画組織行動
分析単位個人
理論系譜心理学
REFERENCES

出典

本ページは学習用の要約です。正確な引用や議論には原典を確認してください。